そえだ勝ブログ

川崎市は元々、市民活動が非常に盛んな土地柄で、多くの地域密着型の団体が存在します。今回はそのほんの一部の方々ではありますが、皆さんが張り切って頑張っておられる姿が印象的でした。とはいえ、改めて、いろんな団体があるなあと、市民パワーを感じた一日となりました。

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木工細工を行っている皆さんの子供用ブースで、楽しいゲーム


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小生40歳、皆さんに乗せられて年甲斐もなく本気出してしまいました(苦笑)

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プロ顔負けの見事な作品

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こちらは、先輩ママが後輩ママに子育てアドバイスをするサークルです

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センスのいい色紙を作って頂きました!

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草笛を見事に演奏されていました

もっともっと多くの団体の方々がいらしていたのですが、紙幅の関係と、写真珪砂のご許可の関係で一部の方々のみですが、改めて、宮前自慢の市民パワーを、後押ししていかねばと感じた時間となりました。

先日、私の長女長男がお世話になった、宮前区犬蔵のゆりかご幼稚園の入園式・進級式にお邪魔してきました。

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月は私自身も自分の子供を思い出しもらい泣きした涙涙の感動の卒園式にお邪魔しましたが、今度は生まれて初めてママから離れる新年少さんの大泣きの涙涙の入園式でした。


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英語の先生による同時英訳!?や、生演奏もありました。

入園式はうちの小
5長女は7年前、小2長男は4年前でしたが、うちの子たちも大泣きしていたことを思い出し、とってもほっこりした一日となりました。

前回の続きを述べる前に、今回の薬価改定にも少し触れます。

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今の期間は政府の財政健全化の集中改革期間(16-18年度)にあたり、社会保障費の増加を5000億円まで抑制する目標が掲げられています。しかし、高齢化による医療・介護のニーズは増え、前年度比6300億円の増加が見込まれたため、差額である1300億円の減少をする必要に政府は迫られていました。そこで、「薬価狙い撃ち改定」と言われていますが、薬価引き下げにより、1900億円が生み出されることがわかりました。

そこで、薬価は引き下げられ、そうすると、6300億円-1900億円=4400億円となり、5000億円には600億円の余剰財源が生まれ、診療報酬は+600億円となったものの、薬価は既述のように-1900億円となりました。そして、さらに門前薬局については、適正化(報酬削減)により、-60億円となります。

要するに、お医者さんは+改定ですが、薬屋さんは-改定となります。

そんな背景がある中、話を本題に戻すと、患者側から見れば、お医者さんにかかるのは「値上げ」ですが、薬をもらうのは「値下げ」となります。さらに、前回記述しましたが、薬局の中でも、大手の門前薬局にはマイナス改定になる一方、患者からみればそこで薬を買うのは値下げになります。

果たして、それで、「門前薬局からかかりつけ薬局へ」という流れがうまくいくのかという疑問があります。その流れ自体は、患者をよく知っているから患者側に立ってくれる「かかりつけ薬局」を優遇していこうという考えはわかります。

しかし、患者からすれば、かかりつけ薬局で調剤してもらうよりも、大手の門前薬局で調剤してもらったほうが、具体的には数十円から100円程度安くなる改定になり、せっかくの良い流れをつくろうとしたにも関わらず、流れが逆行する懸念があると、私は考えます。実際に、私も地元で「かかりつけ薬局」という立ち位置の関係者からヒアリングしましたが、「大手門前薬局の報酬下げはペナルティーだが、これはかえって彼らの客を増やすことになり、逆によりもうかるのではないか」という懸念の声が多くあがりました。

私も全く同様の疑問を報酬改定素案があがった段階からもっていたため、今回、皆さんにも厚労行政の政策の矛盾について考えて頂くべく書きました。実際に知人の厚労省関係者にこのことを問いましたが、「報酬改定は常にそういう矛盾がはらむ」と認めていました。

しかしながら、本来は極力矛盾を少なくする政策を打っていくべきであり、非常に後味の悪い改定であると感じた次第です。ある意味、そこにも「逆介護保険」の考え方が応用できるのではと感じましたので、それはまたの機会に。。。
題名にありますが、病院目の前の薬屋さんを、いわゆる「門前薬局」といいます。今回の改定の中で、「門前薬局」から「かかりつけ薬局」へという流れに政府は変えようとしていますが、私は素朴にそれがうまくいくか疑問です。長いので2回に分けて書きます。

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その理念自体は賛同します。どういうことかと言うと、政府の狙いは、「かかりつけ医」ならぬ、「かかりつけ薬局」を患者が選択しやすい流れにしていくことで、薬剤師が独立した立ち位置から、患者の立場に立って、医師の処方内容が適正かどうかをチェックしやすくすることを目指しています。

大病院の前に軒を連ねる薬局が門前薬局ですが、ここは顧客の獲得が非常に容易と言われています。皆さんもご自身が病院から処方箋をもらった後の行動を考えて頂くとお分かりになると思いますが、「目の前の薬屋に無意識に入店」している方が大半ではないでしょうか。

一方で、かかりつけ薬局というのは、一般的には住宅街の中にあり、皆さんの居住地域付近にある薬局を一般的には指します。皆さんが「ちょっと風邪気味だから、薬をよく買う店」です。皆さんとは、いわゆる「顔なじみ」の薬屋さんであり、皆さんも近いという理由だけでなく、「互いの顔が見える関係」、ひいては「信頼関係」があるから、足を運ぶという方も多いかと思います。逆に薬局側から言えば、患者からの信頼獲得の努力なしに、営業が難しい立場と言えます。

さて、どちらが顧客獲得しやすいかというと、それは門前薬局です。なぜならば、既述のように、営業努力というよりも、絶対的な「立地優位性」があるためと言われています。無論、大半の門前薬局さんは一生懸命に運営をされておられると思いますが、報酬改定で門前薬局は報酬が下がることになります。

さらに、大手門前薬局については、特定の病院からの処方箋が全体の85%を超えた場合、より報酬を下がることになりました。

そして、かかりつけ薬局との「経営の公平性」を図り、ひいては、報酬で優位になる「かかりつけ薬局」へ業態変更を促そうということを狙って改定されますが、私にはそれに対して疑問があります。長くなるのでそれは次週申し上げます。

まず、先の震災でお亡くなりになられた方々に対し、ご冥福をお祈り致します。

そして、現在も震災の影響で大変な思いをされておられる方々に対し、心からお見舞い申し上げます。

 

さて、あれから、早7年。思い起こせば、初めて政治活動を行っている最中、大震災発生。

故郷福島の友人から「原発が怪しい。大変なことになるかもしれない」という一報を受け、居ても立っても居られない心境になりました。そして、手伝ってくれていた方々や家族の反対を押し切り、活動をほっぽりなげて、翌12日に東北へ出発。

 

大量の食料品を積んで、まずは13日未明に廃墟と化した陸前高田入り。ご承知の通り、言語に絶した風景がありました。その場に立ち尽くし、涙が止まらなかったものの、気持ちを切り替え、食料品を渡し、その後、道なき道を南下。気仙沼、石巻、仙台若林区、多賀城と食料品を渡し、日付変わって14日深夜に福島入り。

 

 原発では友人の予告通り、既に12日に1号機の水素爆発は発生しており、避難の車が列をなす異様な雰囲気。私は原発から4045k地点をベースキャンプに活動を開始することにしました。そこに向かうため、避難の車とは逆方向に、私は車を走らせることとなりますから、当然恐怖心もありましたが、そんなことは言ってられない、という気持ちが勝っていました。

 

そして、持っていた食料品を配って回っている最中の14日に3号機が水素爆発、翌日には5号機が水素爆発の報。正直、ますます、被曝の恐怖心が高まりましたが、「せっかく来たのに後悔したくない」という思いで、介護士として、老人ホームや避難所での高齢者のお世話にまい進した日々でした。

 

その後、川崎に戻ってからは義援金のお願いをし、実に150万円近くまでご協力を頂き、福島県庁担当者に渡すことができました。さらには、「絵本を送ろう被災地へ」ということで、中古絵本を募ったところ、1500冊以上の絵本が集まり、それものちに被災地の保育施設や児童施設にお渡しすることができました。

 

それから半年後、今度は地元の卸売市場である、北部市場での福島県産品の販売会もさせて頂き、こちらも地元の皆さんから応援を頂きました。その翌年には福島復興支援ツアーも行い、その後は、定期的に福島と川崎の人との交流の機会を作ったり、川崎以外でも福島の状況を講演させて頂き情報発信等をしながら、現在に至ります。

 

さて、そんな中でのあっという間の7年。当時、私の甥っ子が小26歳・3歳で着の身着のまま、川崎の私の所へ避難しておりましたが、もう今は中3・中1・小4です。時が経る中、よく懸念されることは、記憶の風化です。

 

それゆえ、私のできることは、引き続き、福島の被災者の代弁者のつもりで、川崎の皆さんに事あるごとに、記憶を風化せないように、情報を発信していくことだと思っています。川崎でも心無い、いわゆる「原発いじめ」が学校で起きたり、被災者への補償金に対する誹謗中傷があったりと、まだまだ、そうした偏見は解消されていません。私はこれからも被災者の気持ちに寄り添い、そして、そうした偏見とは戦っていく覚悟です。長くなりましたが、福島出身者だからこそ、微力ですが精一杯、努力していきたいと思います。