そえだ勝ブログ

福島と川崎の懸け橋になるの最近のブログ記事

先日、仙台市にて松下政経塾関係者の東北出身者とパナソニックさんの東北支店の方々との親睦会がありました。
東北出身者の会の会長は同じ福島南部の地元であり政経塾の大先輩である玄葉前外務大臣をはじめ、
北は青森から南は我々福島出身者まで、多くの関係者が集いました。多くの世話になっている先輩方やパナソニックの方々が足をお運び頂きましたが、紙幅の関係上、一部の方々のみご紹介させて頂きます。

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玄葉元外務大臣
松下政経塾 佐野理事長
逢沢元自民党国対委員長
松下政経塾長 河内山元柳井市長
小野寺元防衛大臣
村井宮城県知事


といったそうそうたるメンバーが顔をそろえ、東北復興に向けて、地域や党派を超えて、全員一丸となっていくことが決議されました。次回は福島開催ということで、私が事務局長に指名されました。既述のような方々を取りまとめることは、正直、「私には荷が重いなあ」と思いましたが、次の開催場所があの加賀屋を抜いて、旅館ランキング日本一に輝いた、私の幼馴染が経営する「八幡屋」であるため、有無を言わせず決まりました(苦笑)。。。。
 

八幡屋 http://www.yahataya.co.jp/

上記ホームページをご覧いただければわかりますが、本当に素晴らしい旅館です。ゆえに、今回の仙台のように力強い東北復興の決議がなされるかは「幹事の腕次第」という状況です(汗)。。。今後、より一層、東北復興、福島復興、ひいては川崎と福島の懸け橋になるべく、活動していく決意を新たにできた機会となりました。

先日、福島県石川郡古殿町へ行ってきました。ここは人口約5千人の小さな田舎町で、私の出身の石川町の隣町です。

そこで、この地域に古くから伝わる保存食「凍み餅(しみもち)」作りに励み、その伝統を後世に伝えていこうと頑張る、「ふるさと工房 おざわふぁーむ」さんにお邪魔してきました。
 

コメ農家を営む、小澤さんはコメを使った先人の知恵である「凍み餅」消滅の危機を感じ、一念発起し同工房を立ち上げました。そして、現在、子供たちや若いお母さん、あるいは都会からの伝統食に関心ある方々に対し、凍み餅作りを伝承しておられます。

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しかし、当初は小澤さん自身も「凍み餅」に身近な世代ではなかったため、作り方のイロハを地域の
80代の地元のおばあちゃん達から直接、ご指南を受けに回ったそうです。無論、我々団塊ジュニア世代にまで下ると、恥ずかしながら「凍み餅」の存在すら知らずに育ってきました。


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食材はもちろん、すでに出来上がった惣菜など、ネットやスーパーで簡単に何でも手に入る時代ゆえ、手間のかかる伝統食はどんどん、衰退の一途を辿ってきました。

写真のように、「凍み豆腐(こうや豆腐)」をつくるように、一つ一つ、紙に包んで、冬の寒気に当たらせ干していきます。もちろん、その前に炊いた米を潰して餅状にし、そして、一つずつ形作ってという、非常に手間暇のかかる作業があります。もち米よりも当然ながら手間がかかります。

しかし、その作業をしっかり行うと、凍み豆腐のように水で戻して食べるのですが、とてももっちりした本当においしい凍み餅ができます。

小澤さんのような取り組みは、先人の知恵を後世に残していくために、非常に重要な取り組みだと感じます。私も故郷に美味しい保存食が存在していたことを、ものすごく誇りに思いました。私たちの子供の頃は「郷土を学ぶ」というカリキュラムはほとんど存在していませんでしたが、今は子供たちの必修科目となっています。ゆえに、そうした取り組みは子供たちが自分たちの故郷を知るきっかけになり、ひいてはそれが郷土愛や故郷を誇りに思うことへ繋がっていくはずです。そして一方で、それを教える先輩世代としては大きな生きがいの創出につながっていくと思われます。


あの3・11を受けて、「川崎と福島の懸け橋になる」という志を立ててから早
6年、今も福島をはじめとした被災地と川崎との往復を行いますが、こうした地元の伝統食というものは、我々世代にとっては「温故知新」、まさに「古きを知りて新しきを知る」というものゆえ、非常に重要であり価値あるものと考えますから、引き続き、そうした活動の後押しはしていきたいと思います。

先日、福島県南相馬市の「南相馬ソーラー・アグリパーク」さんにお邪魔してきました。
ここは太陽光などのクリーンエネルギー発電所と植物工場の体験学習を通じ、子供たちに学習の場を提供しています。

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これは時間帯により角度を変えて、より太陽光からのエネルギーが多く吸収できることを体験する装置です。

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これは「空気入れの要領」で水をくみ上げ、下に落とすことで発電する装置であり、水力発電の原理を知るものです。

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内部は見られませんでしたが、ここは工場として、トマト栽培を行っています。土を使わず、適正な温度と水の管理をしながら栽培しています。この手法は放射線量の高い地域での農産物栽培を行う場合には一考に値すると感じました。

農地の少ない川崎においても、参考になる取り組みと感じます。また、再生可能エネルギーについては、体験を通じて子供たちが学んでいくという手法が川崎でも少なからず、参考になると感じた視察となりました。
既述ブログからの福島流れと言えばそうなりますが、同じ福島県石川郡出身の大先輩を訪ねてきました。

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荒川区でスーツの仕立て屋さんを営む、角田さん。この地で70年以上も仕立て屋一本で86歳の今も現役バリバリです。40年以上も前から使っている道具もいまだ健在です。

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機械化の波に押され、同業の仲間が次々に廃業を余儀なくされる中、裸一貫で東京に出てきた思いを胸に歯を食いしばり腕を磨き、機械には真似のできない技術を得て、今日に至るそうです。

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川崎にもマイスターと呼ばれる、いわゆる「匠の技」を持つ方々がおられますが、我が先輩も負けていなく、私はとても誇りに思えました。

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量産品の出来合いのスーツが世を席巻する中、いまだにこの値段で引き合いが後を絶たないとのことで誠に恐れ入りました。そして、角田さんは福島の活動にも積極的で、商売で得た収益の一部は復興支援のためにあてておられます。

そんな先輩がいるからこそ、私も引き続き、川崎と福島の懸け橋になるべく、頑張っていこうという思いを新たにできました。
 前回予告したように、請戸小学校についてです。
 請戸小は海に面する場所にあったため、もろに津波に襲われたものの、誰一人飲み込まれることなく、全員が生還できました。

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 卒業式を目前に控えた大事な時期に容赦なく津波が押し寄せました。

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 その際、先生は全員を学校から数キロ離れた高台に逃げるよう指示し、高学年はもちろん、低学年も火事場の馬鹿力でなんとか全員がそこに到達し、一命をとりとめました。

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 さて、この出来事ですが、何が奇跡かというと、上図の赤丸の部分、「請戸城跡」が高台の位置ですが、実はそこに誘導したのが先生ではなく、「生徒」であったのです。

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 もちろん、先生はその城跡が安全であることを普段からご存知であり、先生の誘導でそこに生徒たちは向かいましたが、その途中、そこに至る通常ルートには津波が迫り、行く手を阻まれました。

 一行が途方に暮れる中、その城跡でよく遊びまわっていた生徒が「僕が案内する」と言って、通常にはない山道を案内し、間一髪のところで全員が城跡に登ることができ事なきを得ました。

 その後、先生たちは「我が子に早く会いたい」と焦って連絡をしてくる保護者に次のように伝えました。
「絶対に高台付近には近づくな。波が引かなければあなた達が死ぬ。私たちが最後まで守る。自分の無事を考えてくれ」と。
 そして、津波が落ち着いてから、無事に保護者と生徒たちが再会へとこぎ着けました。

 子供が外で元気に遊んでいたからこそ道が開け、一方、先生もその子に運命を託した勇気があり、そして、親を早めに迎えに来させなかった正しい判断があったからこそ、死亡者ゼロという素晴らしい結果に繋がった思います。

 やはり、大人だけでなく子供も地域を知るということは大切であり、そして、何よりも先生をはじめとする、大人と子供の信頼関係が極めて重要である、ということを命懸けで私たちに教えてくれた出来事でした。

 最後にこの感動の話を教えて下さった語り部さんのご紹介です。
 原発震災を語り継ぐ会 花と希望を育てる会 高村美晴氏
浪江町は現状、いわゆる「避難指示解除準備区域(4月から戻ることが可能な地域)」とされる中、川崎には多くの避難者が暮らしておられるゆえ、そうした方々への支援の在り方を考えるために行ってきました。

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原発から半径5-10k圏に位置する同町は、日中のみしか、被災者でも入ることが許されていません。そのため、津波被害はそれほど深刻ではない一方、家屋の著しい老朽化や心無い窃盗団による空き巣被害は深刻の極みです。そんな状況下、次年度以降は政府が「帰宅許可」を出す予定となっています。

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語り部の方に、浪江町の被災地視察案内を兼ねて、現状をもろもろご教示頂きました。既述の現状にあるように、「とても帰れる状況にはない」と感じている人が非常に多いそうです。

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「そんな現状を鑑みずに政府は意思決定をしていると考える人も多く、政府への不信感は日に日に高まっている」とのことでした。

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また、川崎をはじめ、遠方に避難された方は、周辺に避難されている方や仮設住宅暮らしの方に対して、負い目を感じている方も少なくないそうです。その意味で、そうした方々へのメンタルヘルスの支援も川崎や避難先には検討してほしいとのこと。

さらには、避難してから5年が経過し、避難先での暮らしが既に成立している人が多いため、「浪江町への帰還支援というよりも、現実的には永住に向けた支援の方が川崎には求められるであろう」とも教示してくれました。

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私は第一義的には、本市は「帰還支援」をすべきと考えていましたが、語り部さんがおっしゃるような「永住支援」も重く受け止めるべきと感じました。また、現場を歩く中で感じたことは、「5年間人が住めない家」というものがいかに朽ち果てるものかということを目の当たりにし、永住についても支援を深めていこうと思います。避難されておられる方々には、「帰る」も「帰らない」も、いずれも選択できる環境づくりに向けて、私は動いていきたいと思います。

次回は、語り部さんから聞いた「浪江町立請戸小学校 奇跡の生還」について書きます。

いろいろと考えたあげく、なかなか、筆が執れず、遅ればせながらの投稿となります。 


あれからあっという間に4年が過ぎました。

この場を借りて、改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表すとともに、被災され、今、なお苦しんでおられる方々にお見舞い申し上げます。


思い起こせば、4年前の3.11の翌日、4月の戦いに向けた活動をほっぽりなげて、翌日に福島入りしたときのことが昨日のように思い出されます。


福島の介護仲間からの一本の電話。

「福島が大変だ。特に(原発から)半径30~40kmあたりの避難所はホーム(特別養護老人ホームなどを指す)からのじいさんばあさんでいっぱいだ。介護士が足りない。とにかく来てくれ」と。


選挙を前にした時期が時期だけに、さらには原発事故が全く読めない状況下、事務所のボランティアスタッフは皆、福島入りを猛反対しました。


しかし、私はあの時、正直、「ここで支援に行かなかったら公人になる資格はない。

ここから数週間は活動停止になり手伝って頂いている方には申し訳ないが、これで落ちるなら本望だ」と、暴走する気持ちしかありませんでした。

でも、今でもあの判断は間違っていなかったと思っています。


当時の現場は原発周辺の方々が次々と避難所に押し寄せる中、実際の現場は野戦病院のような状況と化し、避難所の廊下まで高齢者の方々が雑魚寝(ざこね)せざるを得ない現実がそこにはありました。

衛生用品(紙オムツや汗拭き、脱脂綿など)やベッドはもちろん毛布・布団などの身の回りのものは不足し、1人分の紙オムツを3等分して3人分として使用したり、段ボールを集めて簡易ベッドをつくったりなど、苦肉の策で凌いでいました。


でも、そこには手伝う人だけでなく、避難された方自身も含め、皆さんが助け合う姿がありました。

私にとっては当時、改めて「人は1人では生きていけない」ということを再認識させられた機会となりました。

つまり、「地域の絆」の大切さが身に染みて感じられた時間でした。


今振り返れば私は福島に行ったため、確かに他の候補者の人たちよりも活動量は少なくなりはしましたが、そんなことよりももっと大切なものを得た気がします。

あの時に感じた、「人のぬくもり」や「互いが互いを思いやる心」などを振り返りつつ、やはり、川崎でもそうした「利他の精神」を育んでいかねばという思いに改めてなりました。

4年目の今年、福島出身者として、そう動いていくべき責任が人一倍自分にはあると、感じさせられた今回でした。

以前私も参加して皆さんにご報告をしたこともある一般社団法人Bridge for Fukushimaさんが主催するヒューマンツーリズムツアー「第9回・第10回かけはしツアー」の申込が始まりましたのでご紹介します。

一般社団法人Bridge for Fukushimaのサイト


被災地のリアルを感じてもらうために、そして被災地のヒーロー、ヒロインたちを知ってしてもらうために始めたというこの「ヒューマンツーリズム」ツアーは、約2年で、延べ2000人を超える人たちの参加があったとのこと。

これからも福島の復興のために継続されていくそうです。

今回の募集はこちらの2本。

第9回in田村市都路地区:2/28-3/1(郡山駅発・1泊2日)
第10回in二本松市東和・南相馬市小高:3/14-15(福島駅発・1泊2日)

詳細は下記サイトあるいは連絡先までお問い合わせください。


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Bridge for Fukushimaかけはしツアー申込ページ

問い合わせ先
福島交通観光:024-531-8950


【以前私が参加した時のご報告ブログは下記をご覧ください】

福島を考えるツアー(1)

福島を考えるツアー(2)

福島を考えるツアー(3)

先日、私とは逆に「福島側から川崎と福島の架け橋」になっている、今井さんのご紹介で、逆・介護保険について、福島県郡山市 品川市長にお伝えする機会を頂きました。

 ご参考までに今井さん訪問時のブログ


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品川市長は元中央省庁の方にしては珍しく、型破りな市民派市長です。B1グランプリを誘致したり、市民活動をとことんまで後押ししたりなど、中央官僚っぽくないところが、私も共感し、また、兄貴分の福田市長とも相通ずるところを感じました。

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当日は川崎での「逆・介護保険」の進捗と簡単な中身についてご説明をさせて頂きましたが、品川市長は真剣に耳を傾けてくださり、詳細な資料がほしいとおっしゃってくださいました。

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郡山でも「逆・介護保険」の検討を進めたいとおっしゃって頂き、「郡山では、逆「快」護保険=心と体の快さ(こころよさ)を護る保険としてやってみようかな」と、ユーモアセンスもまた、魅力的でした。

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また、郡山で行おうとしている、「社会福祉法人に対する経営分析」については、こちらが学ばせて頂きました。すべての社会福祉法人に、経営分析(経営課題を明らかにするため、財務諸表の情報を収益性や安全性・生産性などの観点から分析し、改善点を見つけ正していくこと。いわば、会社の健康診断です)の要素が備わっているとは必ずしも言えないので、そこに目を付けたのは正しい観点だと感じました。

その一環として、「逆・介護保険」を検討していくそうです。その地域その地域に合った形で、逆・介護保険が広まっていくことは、「地方からの日本介護改革」につながっていくと思います。

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昨年の9月、既存政党や組織団体を相手に戦った市民市長として、まさに福田市長と同じ構図の選挙、「大艦隊と手漕ぎボートの戦い」を勝利した品川市長には、とても学びが多く、また、非常にシンパシーを感じた訪問となりました。
先日、我が故郷、福島県石川郡石川町にある母校、学法石川高校・中学校で、「未来を担う、後輩たちへ」と題し、約1,000人の後輩たちへおよそ1時間、講演してきました。

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母校は今年で創立122年目を迎える伝統ある学校であり、120周年記念の際の講演では、なでしこジャパンの佐々木監督が講演されたそうですし、かつての恩師が多数おられる中でしたので、当日はかなり緊張しました。

さらに私自身は、社会人の方や大学生にはしょっちゅう講演をしていますが、中高生には初めての講演でしたから、「みんなにわかってもらえるか」「爆睡の時間にならないか」「笑いは取れるか」などなど、今までの講演の中で最も緊張してしまい、前日の夜は眠れませんでした(苦笑)。。。

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タイトルは「未来を担う、後輩たちへ」と題して、話してきました。

政経塾時代の先輩で子どもたちへの講演をよくやる方がいて、その方から「高校生は10分で寝るから、10分おきに山場を作れ」と教えを受け、ほぼその通りに10分おきくらいに適度に笑いを入れながら、なんとか乗り切れました(汗)。。。。

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私のパッとしなかった中学・高校時代の話からはじまり、途上国30数か国を放浪した大学時代の話、介護現場の話、そして、現在の政治家としての話や「川崎と福島の架け橋になる」と決めて行っている支援活動の話まで、あっという間の1時間でした。

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最後は3.11を福島で経験した子どもたちだからこそ、「彼らにはその経験を多くの人に広め、周りの人たちに福島を忘れさせないために動く責任があること」そして、「そうした逆境を経験したからこそ、お涙頂戴ではなく、福島と母校に誇りを持ち、力強く自立した人生を歩んでほしい」というようなことを話しました。みんな、笑いも去ることながら、真剣な眼差しで聞いてくれて、かえって、私が身の引き締まる思いになったひとときでした。

そして、後日、私の実家と事務所に「講演が楽しく勉強になった」「福島を好きになった」「これからの行く道が見えた気がした」などなど、複数の学生さんから反応があったそうです。

これらの感想を私は直接、受けていないので真実はわかりませんが(汗)、少しでも後輩たちのためになったならば、この上ない喜びです。引き続き、川崎と福島の架け橋になるべく、頑張って参ります。
先日、郡山部活という、福島復興を川崎との連携の中で、取り組んでいる方を訪問してきました。私とは逆に、福島側で頑張っておられる「郡山部活」は、NPO法人ウェッブストーリーさんが運営する団体です。

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郡山部活は、福島でなかなか、職に就くのが大変な女性の在宅ワークを応援されておられる団体です。

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やはり、女性の労働力は社会的に重要であることは言うに及ばない一方、とりわけ、子育てや家事などとの両立をしながら働いていくことは時間的に様々な制約が生じます。そこで、「郡山部活」の主な活動は、女性には時間的な制約や行動範囲における制約などが存在することを踏まえつつ、女性が自立できる環境を提供することです。私も川崎の企業と連携しつつ、郡山部活を応援していきたいと思います。

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さて、その中心で活動されておられるパワフルな女性の今井さんが現在、もう一つ、力を入れていることは、県内避難者の子どもの学力低下対策です。

彼女によると、原発にほど近い海沿いの街からの避難者が多く郡山にはいるが、その方々は、いわれなき差別を受けているという状況になっているとのこと。

例えば、生活保障のお金が彼らには出ているが、(ほんの一部の人だけの話ですが)それを元手にギャンブルに走っている人間が存在するため、大半のまともに暮らしている方々まで、そういう人たちと一緒に扱われてしまい、周囲から中傷され、非常に暮らしにくい状況になっている事実があること。

こうしたあらぬ誤解が存在するため、避難者は生活する意欲が減退していき、それが子供にも伝播してしまい、不登校になる生徒が非常に増えるという状況になってしまっているようです。

そこで郡山部活では、ほぼボランティア活動に近い金額で、そうした子どもたちの学習支援をはじめました。

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塾に通うにもそれ相応のお金がかかるし、さらには子どもたちですら、「自堕落な避難者の子」というレッテルのなかで生きていかざるを得ない、そんな中では、子どもたちは「学びたくとも学べない」という状況になってしまいます。

よって、こうした取り組みは本当に意義あることだと思いますので、私もどんな形でできるかわかりませんが、応援していきたいと思います。そうして、避難者の子どもたちの学力が向上することは、子どもたちの自信にもつながるし、さらには親御さんへの「子供が頑張っているんだから自分たちも頑張ろう」というポジティブな波及効果にもなっていくと思います。

そして、最終的には、避難者の方々が「真の自立」ができるようになっていければと思います。私も「川崎と福島の架け橋になる」と決めたので、「郡山部活」に負けないよう、引き続き頑張っていくべく、決意を新たにできた、とてもよい訪問となりました。


先日は京都出張でした。

その際、2時間ばかし時間が空いたので、我が故郷 福島の誇りである、幕末の京都守護職(会津藩は治安が最悪と言われた幕末の京都の治安維持にあたった)の任にあたる中、殉職した方々の墓参に行ってきました。


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さて、この墓地は、「会津小鉄」という、京都の任侠(にんきょう)が会津人を葬ったことに由来しています。当時、会津人の亡骸(なきがら)は、埋葬が許されず、道端に放置しておくようにとのお達しがありました。


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しかし、会津小鉄はそのお達しに反し、それこそ命がけで会津人の亡骸を墓地まで移動し、埋葬してくれたのです。

リスクを負ってまで、会津のために尽力してくれた人が京都にいたことを、今回墓参するまで、私は知りませんでした。こうした自らの危険を顧みず、人道的な行為を行う先人に対し、福島人として感動と感謝の念がこみ上げたと同時に、私もそうした心意気を持てるようにならねばと、改めて思わされた機会となりました。

先日、宮前区・高津区に住む、福島にゆかりのある方々のグループ、仮称「福島復興を応援する会」が設立されました。


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実はこの会ができた背景には、福島県人会が「宮前・高津にはなかった」という事情があったようです。私も立ち上げのお手伝いをさせて頂き、皆さんとともに、「同郷話」に華を咲かせました。

第1回目の立ち上げ会でしたので、人数は10名くらいではありましたが、「福島の輪を地元に広げていこう」、「次はそれぞれの福島の知り合いを呼んでこよう」「みんなで福島旅行に行き、お金を落としてこよう」などなど、地元の皆さんから自発的に福島を盛り上げる言葉が多く出たことは、本当にうれしくなりました。私も自分の福島復興支援活動とこの会を連動させ、より福島復興の動きを加速していこうと、気持ちを新たにできました。
先日、私と同じ、福島県石川郡石川町出身で首都圏に住む人たちの集まり、東京石川会に行ってきました。


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はっきり言って、私の大先輩(平均年齢が私の父と同じ団塊世代くらい)ばかりの集まりであり、ぶっちぎりで一番下っ端ゆえ、常に動き回っていましたが、皆さん、口々におっしゃっていたのは、やはり、「都会からどうやって故郷福島を応援するか」という話題でした。


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ヒトモノカネを送る、若者の就職先として都会で受け入れる、農産品を食べて応援などなど、いろいろ、出ました。皆さんの熱い思いに本当にうれしくなりました!

私はとにかく、この石川会の人はもちろんのこと、日本全国の人々が「福島を忘れない」と感じていてくれることこそが、まずは何よりも重要だと思います。

松下幸之助は成功するための秘訣を問われ、「成功すると思うことやな」と応えたと言います。その意味で、何事も「強く思う、強く願う」ことから始まると思いますから、ぜひ、皆さんにも、「福島の復興なくして、日本の復興なし」の精神、持ち続けて頂ければ幸いですし、まずは自分自身が「川崎・福島の架け橋」としての実践、これからも続けて参りたいと思います。
先日、松下政経塾の東北支部の立ち上げ会が仙台市内でありました。現在は言わずもがな、川崎におりますが、「福島出身者」ということで、同郷の玄葉光一郎先輩(前外相)にお声がけ頂き、行ってきました。

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当日は、玄葉先輩のほかにも、村井宮城県知事等、そうそうたる先輩方に囲まれて、少し緊張しましたが、「東北を復興し、日本を復興させる」という思いは、世代や地域を超え、全く同じであったので、ざっくばらんに意見交換をさせて頂きました。

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この日は久しぶりにお世話になった政経塾長にもご挨拶でき、原点回帰のよき機会となり、誓いを新たにできました。松下幸之助の「政治を変えなければ、日本は変わらない」という思いに共鳴した同志の一人として、それに少しでも応えられるよう、微力ではありますが引き続き、努力していきたいと思います。

この日から3年、福島出身者として、お亡くなりになられた方に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、被災された方におかれましては、改めて、お見舞い申し上げます。


さて、以下は私が2年前に書いたブログです。このブログは放射線量が基準値以下の食物は給食から撤去すべきではないというものです。端的に言うと、食べるも食べないも市民の自由であり、食材を行政の判断で撤去するという、いわば、市民自らの選択権を奪うべきではないという内容。




このブログ、一部の人から、ものすごく反発をかいましたが、正しいことは言い続けていくという意味で再投稿させて頂きました。


これからも川崎のために仕事をすることはもちろん、同時に被災地のため、そして、福島復興のため、努力してまいります。福島の復興なくして、日本の復興なしの精神は、日本国民ならば、誰一人として、疑わない事実だと思います。

先日、宮崎台駅付近に立地する国家公務員住宅の一角にある、「ひまわりサロン」さんにお邪魔してきました。


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ここは、福島からの避難者の方が住んでおられる住宅であり、私も福島出身の議員として、しばしば、お邪魔しておりました。


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本日は、「竹かご作り」を行っていて、地元の竹かご作りのベテランの方が福島の方に教えておられました。

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皆さん、とても楽しんでおられて、単なる竹ひごがだんだんと、竹かごに変わっていく姿に、感動されていました。私も出来の見事さに、感銘を受けました。こうした宮前の地域の方が、福島からの避難者の方に寄り添い、「生きがい」等を提供してくれるのは、福島人にとっては、かなりのプレゼントになると思います。

最後に福島人である私から一言、福島人にとって最も有難い支援は、「福島を忘れない」ことだと思います。3.11から今まで、私なりの福島支援を続けてきましたが、行き着いた結論は当たり前ですがそれです。

言わずもがな、人間の記憶は徐々に風化していきます。そんな中にあって、福島の戦
いは、他の被災地と異なり、まだまだ、約30年ほど残っています。

極めて、長い道のりだからこそ、川崎の皆さんにも見守って頂きながら、福島人のそ
の戦いを応援してあげて頂きたいのです。

私は福島に関しては川崎同様、当事者に近い立場におりますので、川崎のことを考え
つつも、「福島の復興なくして日本の復興なし」の精神を忘れず、引き続き、川崎と福島の懸け橋となるべく、微力ですが、努力していきたいと思います。
今日は私の故郷である、福島県石川郡石川町を選挙区とする地元の大先輩であり、松下政経塾の大先輩でもある、玄葉光一郎前外務大臣のもとをお訪ねしてきました。

元々うちの実家の家族は皆、玄葉前大臣を熱烈に応援していたため、実は私も高校生の頃から、玄葉先輩のことは存じていました。とはいえ、当時はどれほどすごい方かは全く分かっていませんでしたが(笑)。。。

玄葉先輩とは大臣就任以降、さすがにご多忙を極めておられるので、なかなか、お会いする機会はなかったのですが、田舎の大親友の結婚式があり、久々にご挨拶できたこともあり、この度、お時間を頂けることになりました。


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さて、先輩を訪問した理由としては、福田市長と進めていることの中の一つに、「川崎と福島の基礎自治体(市町村)との友好都市提携を増やす」というものがあります。

市長も福島をはじめとする、被災地支援には非常に関心がありますから、まずは私が福島で一番、お世話になっている玄葉先輩を訪ねることからスタートしました。


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先日のブログに書いた通り、「川崎側としては福島支援を通じて、利他的精神を育む」という狙いがありますが、玄葉先輩もこの考えには大いに賛同してくださり、お力添えをお約束頂きました。


また、友好都市提携にはもう一つ、双方にメリットがあります。それは、災害をはじめとする有事の際、一方が困難に陥った際は、もう一方が物資や人材の支援、被災者の受入等、迅速に助け合える関係を築けることにも繋がります。

よって、双方にとって、ウィンウィンの話ですし、玄葉先輩にも福田市長にも期待されている活動ゆえ、今後、責任を持って進めていきたいと思います。
先日、「ペットと最後まで」という、人と動物との共生を推進する方々の勉強会がありました。

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ペットと最後までHP


代表をされておられる中島さんのブログ

「野良猫」への去勢を進めて、「地域猫」として共生していくことの重要性や、ペットとして飼育する場合の心構え、災害時におけるペットの保護の考え方等、非常に実践的な中身でした。

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実際に、川崎市の予算の中には、市民が野良猫を保護し、去勢させるための補助金も存在しますが、その額はたった100万円に過ぎません。そうすると、去勢手術に対する市民の自己負担は、およこ7~8,000円程度になるようで、それでは市民自らが去勢手術を推進し、地域で育てていこうという気になるには、ハードルが高いなと感じさせられました。

やはり、保健所が行う、「殺処分」は容易で効率的な方法かもしれませんが、動物にも命があるわけだし、我が国には「動物愛護法」も存在するわけですから、そこは、動物とて、その生命は重く扱われなければなりません。

今日の勉強会で学んだことは、すぐに福田市長には伝えましたが、市長もそこは、大事な検討課題だと受け止めてくれました。

また、参加者の中には、福島に取り残された動物たちの保護活動をする方々もおられました。私も福島で、取り残されたペットたちの死骸や野生化して家畜を襲っている犬の姿等、悲惨の光景を目の当たりにしてきました。その意味で、そうなる前に救いの手をさし述べているこうした方々には、頭の下がる思いになりました。これもまた、福島と川崎の懸け橋的活動だと、しみじみ、感じました。

この方々は、そうした福島の動物たちの里親探しをされている人たちでした。



勉強会の最終盤には、動物虐待の話にまで広がりましたが、私も一昨年に児童虐待防止条例を提案した者として、これらの問題は極めて関連性が強いと感じました。それは「強い者が弱い者をたたき、弱い者はさらに弱い者をたたく」という構図があるのが虐待問題です。

具体的には、親は会社や社会に叩かれ、親が子を叩き、子は動物を叩くという流れも実際にあるそうです。虐待を受けて育った子供は、不幸にも人や動物の愛し方がわからず、つい手が出る、ということが往々にしてあるようです。

そう考えると、最後に弱きものである動物は、何も悪いことはしていないのに、はけ口もなく、ただただ、泣き寝入りをするだけということになってしまいます。

それゆえ、今後は、市民と動物たちとの共生社会に向けて、力を入れて取り組んでいきたいと思います。

また、動物愛護の話は、子供の教育にとっても重要な要素といえるため、教育機関や地域住民をも巻き込んで、動物愛護の意識を高めていく政策を考えていきたいと思います。

福島×川崎プロジェクト

筆不精ゆえ、久しぶりの福島関連の投稿です。昨年もブログに書いてはいませんが、隔月で必ず福島支援には行っておりましたが、今回は私の紹介ではなく、福島と川崎を結ぼうとしている、福島サイドの方の紹介です。

フェイスブックで、福島県郡山市役所に勤める私の義理の姉が、下記サイトを紹介してくれました。その名も「福島×川崎プロジェクト」。

LOVEこおりやま

詳しくは上記をご覧いただければと思いますが、「郡山×川崎プロジェクト」といったほうが正確かもしれません。

この活動は、今井淑子(よしこ)さんという方が行っています。彼女はこちらの出身ながら、震災後福島に思いを馳せ、郡山市に移住されて「郡山と川崎の懸け橋」になろうと頑張っておられます。

その意味では、福島出身で川崎に住む私とは、逆パターンの方といえます。しかし、本日、連絡を取り合いましたが、思いは同じだと確信しました。

下記が詳細の今井さんの活動情報です。ぜひ、川崎から福島に何かしたいとお思いの方、今井さん本人でも結構ですし、私のところでもどちらでも結構です。ご一報ください!

 

以下は今井さんのサイトより

〒963-8017 福島県郡山市長者1-7-17 さくらビル3階
 電話:024-933-7940 メール:info@cafe21.net
 こおりやまポータル(http://ki-zu-na.org/)を運営

会社概要
特定非営利活動法人ウェッブストーリー :http://cafe21.net/
こおりやまポータル:http://ki-zu-na.org/
さいわいコミュニティサイト:http://sawacon.org/
福島×川崎プロジェクト:http://cafe21.net/fukushima
福島×川崎テレワーク:http://cafe21.net/telework/

福島県は地震、津波、福島第一原発事故、放射能の風評被害、農作物の出荷停止と「5重苦」に苦しんでいます。私たちができることを一緒に考えませんか?福島の未来、日本の未来を川崎から発信します!

本日は年始の今だからこそ、敢えて、皆さんに「被災地に今一度、思いを馳せて頂きたい」と考え、書きました。筆不精の私ですが、自分の活動も含め、これからも「川崎から福島を応援する」メッセージを定期的に発信していきたいと思います。

福島情報リンク集

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NPO法人みらいと
http://bridgeforfukushima.org/

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相馬はらがま朝市
http://www.frontier-minamisoma.org/

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特定非営利活動法人 浮船の里
http://ukifunenosato.org/index.html

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かーちゃんの力・プロジェクト協議会|公式ホームページ http://www.ka-tyan.com/
私の松下政経塾、大学院の先輩で船橋市議でもある、津曲俊明議員とともに、福島復興支援ツアーを行うこととなりました。私の出身地が福島県ということもあって、地元の皆様を福島にお連れし、ぜひ、福島復興に一役買っていただきたいとの思いから、挙行します。

ぼ毎月のペースで、福島県に震災復興関連で支援に行っていますが、いまだ、震災の爪痕は生々しく、現地では震災前の地域生活を取り戻そうと頑張っています。福島では今、何よりも必要な応援は、復興予算の配分や義援金ではなく、福島に遊びに来てもらい、福島の幸を食してもらうことだとのことでした。福島の応援、そしてお世話になっている皆様と懇親を深めることを願っております。是非お誘いあわせの上、ご参加ください。

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○日時
平成25年7月4日(木)、5日(金)
※7月4日朝6時頃 宮前平駅北口集合、5日夕方戻りの予定

○行程予定
・会津若松周辺(八重の桜にまつわる場所・鶴ヶ城周辺等)
・石川郡周辺(添田実家)=(ウラン鉱石跡地、乙字が滝等)
 ⇒宿泊地:石川郡石川町の母畑温泉 八幡屋
 (私の幼馴染の旅館、私の実家から約1km)  
        
○参加費
30,000円程度(人数によっては変動有)

○お申込み
バスや宿泊先の手配の関係で誠に恐縮ですが5月31日(金)までに下記にある申込書(PDF)をFAX頂くか、お電話で、お返事を宜しくお願い致します。お申込みいただいた方にはあらためてツアーの詳細をお送りします。

福島を考えるツアー(3)

最終回の本ブログは、原発から20k圏内に自宅があるため、戻るに戻れず、南相馬の仮設住宅に暮らす方々との意見交換についてです。お話してくださったのは、南相馬市小高区(半径20k圏内)に住んでいた、久米静香さんと渡邊靜子さんです。

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彼女たちは、津波被害から数日後、自宅の後片付けに追われる中、福島第一原発の爆発音をじかに聞くこととなり、着のみ着のまま慌てて非難することとなりました。その後、複数回の避難を余儀なくされ、結局、自宅に帰ることは叶わなくなり、現在の仮設住宅暮らしとなったそうです。

さて、お話を伺う中で、私がまず感じたのは、彼女たちが非常に明るいということでした。「戻りたくても戻れない」という状況の中、悲壮感たっぷりかなと思いきや、こちらが圧倒されるくらいの福島おばちゃんパワー炸裂でした。とはいえ、もちろん、これは努めて元気にされておられるのかなとも感じました。

彼女たちは、「自分たちの現状を知ってほしい」「声を聞いてほしい」という思いがあり、私たちが何を聞いてもざっくばらんに答えてくれました。例えば、南相馬では今、原発を完全に取り壊すか、「負の遺産」として残すかという議論があり、世論は真っ二つに分かれていること、また、仮設住宅では子供達が支援物資にあふれて暮らしているため、「物は買うもの」という感覚ではなく「物は貰えるもの」という感覚になってきてしまっていること、さらには、原発からの距離により補償金が異なるため、一部の大人たちの間では、その不公平感に端を発したトラブルが起きていること等、普段、報道では知ることのできない、生の現場の現実を教えてもらいました。

そうした事情もあり、彼女たちはこのような困難を乗り超えるために、自立に向けて力強い歩みを始めています。NPO浮船の里という、事業を開始しました。浮船とは、福島第一原子力発電所から10Km ~ 20Km に位置する南相馬市小高区の別名で、自分たちのふる里(浮船)を自分たちで漕いで進んでいくという決意を名前に託したそうです。

浮舟の里は南相馬市小高区で事業を行っていた方や地元のお母さん方を中心に構成され、子育て世帯の原発への不安解消と経済的負担の解消することを目的として、安全で安心な食の提供ということで、野菜販売事業を始められました。皆さん、ぜひ、応援してください!

ホームページ ⇒ http://ukifunenosato.org/index.html

さて、下の写真は原発から10k地点(接近可能なギリギリ地点。4月8日現在は5k地点まで可能)の写真です。

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2年間、人が住んでいなかった場所は、瓦礫も野積みのままで震災時そのままの状態でした。さらに、動物も野生化している現実がそこにはありました。聞いた話ですが、飼い犬たちが野生化し家畜を襲う被害、また、人が住んでいないから空き巣の被害も多発しているとのことでした。また、5k地点では、私たちが訪れた3月の段階で初めて、遺体の捜索がなされているそうです。

岩手や宮城とは明らかに異なる福島の状況、人口流出日本一の福島出身で、人口流入日本一の川崎で政治家をやっている私には、改めて、川崎の人達にこの現状を伝える責務があると感じます。また、福島は多くの若い世代が避難を余儀なくされているため、この2年で高齢化率が一気に10%もアップした地域もあります。しかし、これは見方を変えれば、あと10年くらいで訪れる都市の高齢化(団塊世代が一気に後期高齢者になる頃)の予見ともいえる状況ですから、川崎市民も他人ごとではなく、我がこととして捉えて頂く必要があります。それゆえ、これからも福島と川崎の懸け橋になる活動には、一層、力を入れていきたいと思います。

福島を考えるツアー(2)

前回は、新地町役場を中心として頑張っている「行政」に焦点を当てた報告でしたが、今回は民間で頑張っている人たち、「NPO相馬はらがま朝市クラブ」と、福島駅前にある飯舘村から避難中のお母さんたちの店「かーちゃんふるさと農園 わいわい」です。

前者は、元々、水産加工会社を営んでいたが、震災により会社と工場は被災し、廃業。その後、経営者の高橋氏は、仮設住宅でカップめんのみを食べながらなんとか暮らしてきた。しかし、そこは根っからの魚好きの同氏。「うまい魚を食べたい」との思いから、様々な困難を乗り越え、以前の会社という形ではないが、NPOとして、再スタートを切った。


自らが持つ水産加工業のネットワークを活かして商品を仕入れ販売
、冷凍品の在庫を無駄にせずに廉価で販売を行う等、同氏の工夫と自力で頑張っている。また、地元の人が「集える場」的な色彩を持つ「朝市」の仕掛け人でもあり、炊き出し・通常の市場価格よりも格段に安い価格での食品や日常雑貨販売・各種イベント開催等も実施。

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新鮮な魚を使った手作り料理の昼食

さらには、高齢避難者が多い相馬市内の仮設住宅1,
500戸に対する「声掛け訪問」等も行い、地元の人と人との繋がりを大切にすることにも注力しています!こうした小回りの利いた地道な人と人とを繋ぐ役割は、行政ではできないことだが、極めて重要な役目なので、ぜひ、踏ん張ってほしいです!

参考⇒ http://www.ab.auone-net.jp/~
haragama/request.htm
Facebookはこちらhttp://www.facebook.com/?ref=logo#!/haragama?fref=ts

さて、もう一方の民間事例です。
飯舘村から福島市内に避難するお母さんたちが頑張る、「かーちゃんふるさと農園 わいわい」についてです。

半径5k圏内の警戒区域を除けば、
他の地域に比べ放射線量が高い飯舘村、故に戻りたくても戻れない方々の街。そんな中で、飯舘から避難中の母ちゃんたちが「自立せねば!」と一念発起。農業のみに従事していた母ちゃんたちが立ち上がり、福島県産品を加工しお餅や漬物等を販売する、第6次産業化での自立に向けて走り出した。福島大学の教授の知見も借り、「かーちゃんの力プロジェクト」として、「食と農を通じた自立と再生」を目指している。

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愛情たっぷりの手作り弁当を作る母ちゃんのお1人と

福島県産品をたっぷり使った手作り弁当がその日の夕食でしたが、
何とも懐かしい味を感じたひとときとなりました。まさに「おふくろの味」でした!同情ではなく、十分、他の外食や中食(弁当販売等)産業と渡り合える味ですので、ぜひ、ご賞味ください!!

福島を考えるツアー(1)

私、添田 勝のブログをお読みいただき、有難うございます。長いので、3回に分けてご報告します。

先週末、皆さんに募集させて頂いた、福島を考えるツアーに行ってきました。今まで、支援関係の打ち合わせの訪福は数えきれませんし、また、自分で企画したボランティアツアー等は何度も行ってきましたが、今回の様なケースは初です。

というのも、単にボランティアをしに行くのではなく、福島にとって「真に必要な事は何か」を自分だけでなく、ツアー参加者にも考えて頂くものであるという点に、今までとは大きな違いがあります。

内容としては主に三点です。第一は公に依存せず、現地で踏ん張っている方との議論、第二は原発から半径20k圏に住まいがあるため、故郷を追われ仮設暮らしをしているた方との議論、第三は現在、原発周辺から接近可能な限界点10k圏まで行き、その状況を肌身で感じるという三点です。以下、長くなるため、複数回にわたりご報告いたします。

第一に関しては、まず、宮城県境の新地町の取り組み。ここでは、被災地で難航を極めている高台移転についての先進的取組を学びました。大きく2つの特徴があります。

一つは、「人の繋がりを大切にした移転」。移転後も地縁が途切れないように、コミュニティーごとの移転に注力をしています。つまり、行政区の塊を崩すことなくそのまま移転するもの。

これにより、地域の顔の見える関係は移転後も続くということに繋がるため、住民は安心して今まで通りの暮らしができます。

二つ目は、移転に向けて「海岸付近は危険だから、高いところに住め」という、トップダウン的手法ではなく、住民に対しフェイス・トウ・フェイスで向き合い、説得に当ったというもの。

例え、少人数しか集まらなくても、市長はじめ、行政が頻繁に説明会を行ってきた。ボトムアップ的な手法で取り組んだ結果、時間はかかったがほぼ100%近い住民が移転に応じた。まさに、急がば回れです。

これは、人口5,000人の小自治体だからできるものという見方もありますが、こうした、「絆」と「対話」を重視した手法は、川崎でも見習うべき点があると思います。やはり、人の気持ちを説得するには、それなりに時間と手間が必要です。トップダウンにより短期間で一気にやってしまえというのは簡単ですが、後に禍根を残すことは必至でしょう。それゆえ、結局、後からそのフォロー作業に追わるため、余計に金も時間もかかるというのはよくある話です。

ですから、こうした新地町の手法は震災自治体だけでなく、川崎をはじめ被災地以外の自治体も、今の平時こそ、視野に入れるべきやり方ではないでしょうか。それが住民との信頼獲得に繋がる地味で時間がかかるけれども、結局のところ、一番の近道のような気がした視察となりました。

第2弾ブログでは、今度は官ではなく、民間レベルで頑張っている人に焦点を当てた方との議論についてのご報告を致します。

そして、最後の第3弾は、原発避難者の方との議論についてです。

追記:なお、以上は私が感じただけであって、今回の趣旨である他の参加者がどう感じるかについては、また、後日、確認してみたいと思います。

3月15・16日の両日、東京駅発着の南相馬へのバスツアーがあります。

私の知人がやっているツアーですが、いわゆる、単なるボランティアツアーではありません。

素人ボランティア求人はある程度の一服感を見た中、このツアーは福島で今、頑張っている人に焦点を当て、その人たちとディスカッションを通じて、私たちが「福島のために真にできることは何か」を考えるツアーです。下記は参考です、内容はその時々で若干変わります。

http://fks-happy.com/リアルな福島を知る旅ふくしま復興かけはしツア/

また、そうした方々だけでなく、半径10k圏内に家があるため、家に戻れず仮設で暮らす方々との話、半径10k圏ぎりぎりの現場を見ること等を通じ、これからの福島を考えるツアーです。ご興味おありの方は、私まで、ご一報ください!ぜひ、わが故郷、福島を応援してください!!

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給食冷凍ミカンの数的事実


先日、本会議にて、以前にブログで書いた「給食冷凍ミカン」について、取り上げました。今回はそのやりとりの一部抜粋です。ご参考まで。

  

●給食冷凍ミカン1kgから9.1ベクレルのセシウムが検出。人体への影響は?
行政A.⇒人がミカン1個摂取した場合、シーベルト換算で「約0.000008ミリシーベルト「以下mSv」で影響はない。
添田分析⇒麻生区と川崎区で計測中である、1時間当たりの空間線量に比べ、実に約1/5。

●日本人が1年間の日常生活で、どれだけの放射性物質を食物摂取するか?
行政A.⇒年間約0.4 mSv、食物摂取から身体内部へ取り込む。
添田分析①⇒ミカン1個約0.000008mSvであるから、通常の食物摂取する量に相当する約0.4 mSvに達するには、単純計算でミカンを年間5万個食べ   続ければ達する。
 食物摂取上限値の1mSvに達するにはミカンを約12万5千個食べて達する。
その上、人体が放射性物質を取り込んだ場合、「半減期」といって、発汗や排尿等で放射性物質が排出され半減するという、特性もある。10歳前後の子供の場合、40日前後で半減するため、それを考慮すると、1年間の比較論でいえば、この数値は更に低くなる。

添田分析②⇒実際に学校給食でミカンが提供された場合、通常の給食の中で、理論的にはどのくらいの割合で放射性物質を取り込むことになるのか。
     ・食物摂取上の平均値 年間約0.4mSv
            ・年間0.4mSv ÷365日=日量約0.001mSv
            ・日量0.001mSv÷3食 =1食 約0.0003mSv
            ・みかん1個0.000008mSv÷1食 約0.0003mSv =約2.6%
     ⇒逆に言えば、97.4%は違う食材からの放射性物質の摂取ということになる。

以上、質問の一部ですが、セシウムが検出されたミカンについての単純な数的分析です。
 これを見れば、単に「ミカンを給食に出さないでくれ」という主張が必ずしも正しくないことがわかります。また、それにより、子どもたちが放射線を正しく理解することへの妨げにもなり得ますし、生産農家にとっては風評被害がより拡大してしまうことへの懸念にもなり得ます。こちらの方がよっぽど、真剣に考えなくてはならないと思います。
今回の一件で、政治家はメディアや一部声の大きな人たちが騒いでいるからといって、  そうした一部の利益に傾くことなく、あくまで総合的な観点から判断せねばならないことを、改めて実感できました。

 今回の質問は、賛否ありましたが、今までにない反応の多さでした。
 また、それに関連し、産経新聞で電話取材を受けました。私の名前は出てきませんが、川崎部分については私への取材記事です。

 言ったことがほぼそのまま書いてありますので、ご参考まで。

 

給食の冷凍ミカン 放射性物質が基準値以下でも使用中止 6月12日付 産経
全文⇒ 
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120612/trd12061207510002-n2.htm

 

(以下私への取材部分)

『川崎市では、県内産指定の年間契約で冷凍ミカンを作ってもらっており、使用しない場合、1500万円以上の食材費が無駄になるという。廃棄処分となれば、さらに費用が増える。契約内容は各自治体で異なるが、横浜、鎌倉の両市でも同様の費用負担が発生する可能性がある。』

 

 

 

 

 

~私の意見は、今後も提供すべき。「市民が自ら選択できる環境」こそ重要~

 

先日、川崎市内の学校給食に提供される冷凍ミカンから、微量のセシウムが検出されたことが話題になりました。

それを受けて、横浜市や鎌倉市は給食で提供しないことを決定しました。

 

私は題名に書いていますが、「基準値以下の食物は提供すべき」というのが私の立場です。もちろん、私はそれを「提供すべき」といっているのであり、「食べるべき」とは言っていません。

あとで、詳細を書きますが、結論から言えば、給食という機会を通じ、「市民が自ら選択できる環境」を作っていくことが政治の責務だと思います。

 

■参考

市のHPより→ http://www.city.kawasaki.jp/88/88kenko/JHschoolLunch/housyanoukensakekka20120420.pdf

国基準 食品1kgあたり100bq以下。川崎の冷凍ミカン1kgあたり9.1bq。

 

とはいえ、それに対して不安に思われておられる親御さんがいらっしゃることも当然承知しており、私も子を持つ親として非常にお気持ちはわかります。そうした方々の意見も尊重する意味で、「給食でミカンを提供しない」という考えも理解できます。

 

しかし、逆にそうしたミカンも食べることで「被災地や日本の生産者を応援したい」と思っておられるご家庭も多く存在します。

そうした方々にも当然ながら、主張する権利があるわけです。

マスコミはとかく、面白くない話題は書かないきらいがあるため、サイレントマジョリティーであるそうした方々は表には出ません。

でも、私達、政治家はそうしたサイレントマジョリティーの声も聞いたうえで判断をせねばなりません。

 

冒頭にも書きましたが、前者の意見だけを聞き、ミカンを給食で提供しないということは、後者にとってみれば、「食べる権利の剥奪」とも言えます。

 

したがって、私の結論は、「食べる食べないも市民自らが選択できる環境」をつくることが政治の責務というものです。私は双方とも気持ちを尊重しますから、その結論なのです。資本主義のわが国において、選択できる機会が狭められるということは大きな問題だと思います。

今回の件はまさに「全体最適」を考えた上での判断です。

 

・・・・・・

さて、以下は政治的な話になりますので、ご参考まで。

川崎の場合、一部の政治家が前者の意見のみを尊重し、「給食で提供すべきでない」と言っています。

私はこうした「(後者)市民の選択の自由」を奪う行為は、政治家は絶対にやってはならないと思います。彼らが前者的な人にくみしてそうした行動をとること自体は勝手ですが、「後者の権利を奪っている」ことを忘れてはなりません。

 

また、既に生産農家との契約を済ませた後にそれを反故にする話ですから、その保証金も発生するでしょう。基準値以下の物を提供している農家には瑕疵がないわけですから当然です。担当局に確認したところ、1,000万円以上の損失が出る可能性があるようです。さらには、ミカンの廃棄費用をも考えなくてはなりません。そうした財政や事後のことも含め、政治家は「全体」を見て、何が「最適」かを判断せねばなりません。その意味では、これができない政治家は政治家としての「資質」を疑いたくなります。

 

ましてや、川崎ではそんな顔をしておきながら、我が故郷「福島」に視察に行き、そこでは「被災地のために」などとうそぶいている政治家は最低だと思います。「福島の政治利用」としか思えません。

誰とは言いませんが、そうしたダブルスタンダードの政治家がいることがこの国の不幸です。

 

政治を一部の権力者が牛耳っていた時代から、いわゆる普通の青年も政治家になれるようになったことで、ポピュリズムという新たな問題が出てきていることを、今回の一件でつくづく感じております。

 

ネガティブキャンペーン的な演説や文章をつくることがない私でも、さすがに今回ばかりは後段文章について、福島出身者として、そして、人として、書かせて頂きました。

皆さん、新たな年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。

良い年をお迎えになられたならば幸いです。

政治家は新年のご挨拶が法律上、難しいため、そっけない冒頭になってしまいましたこと、ご容赦ください。


また、本年からは、ホームページをリニューアルし、より皆さんに対して、わかりやすい内容になるように心がけました。その作業に昨年後半は力を注がざるを得ず、ブログ等の更新が滞ってしまったことを、この場を借りて、お詫び申し上げます。

さて、私の年末年始は、福島の実家の除染作業に追われる日々でした。

実際に実家の庭から、5,000ベクレルもの放射性物質が検出されたため、年末のご挨拶もそこそこにせざるを得ず、ずっと、それにかかりっきりになっていました。新年も福島の人々が放射性物質との終わりなき戦いになることを、身をもって感じさせられました。

でも、この経験があるからこそ、多くの放射性物質に対して不安を抱いておられる市民の皆様に対して、実体験にもとづいた情報提供ができますから、市政に活かして参りたいと思います。

本年も、都市(川崎)と地方(福島)との懸け橋になるべく、頑張りますので、宜しくお願い致します。

先日、等々力競技場で、福島を応援するサッカー大会に出場しました。 ずっと、まともにサッカーをやるのは、少年サッカー以来、実に22年ぶりです。

等々力のピッチ

少しでも、故郷の応援になればとの思いで参加しました。 初めてのフルの大きさピッチを動き、しかも等々力競技場という場所であり、 疲労と感動とが交差し、心身ともに高潮しまくりましたが、なんとか、 乗り切りました。

そして、観客の方や我々も含めて、多くの義捐金を集めることができ、 非常に実りある、ひとときでした。

これからも、川崎と福島との懸け橋になるべく、頑張ります!!

 今日は、ガイガーカウンターを持参し、「計画的避難区域」、いわば、「入れないわけではないが、計画的に避難すべき地域」を中心とした、放射線量の調査を行いました。  第一原発から20k圏内の「警戒区域」、いわゆる「入れない地域」を除けば、福島県内で群を抜いて、放射線量が高いとされる、飯舘村を中心に測定しました。  まず、飯舘に入る前に測定したのは、みどりの郷がある二本松市、こちらは1μSv/h(毎時マイクロシーベルト)未満という結果でした。 110717a.jpg  とはいえ、0.1μSv/h前後の川崎や他の首都圏と比べれば、比較にならないほどの数値です。  そして、次は川俣町という、二本松と飯舘の間にある町の結果です。 110717b.jpg  この数値は飯舘村との境にある場所ですが、3μSv/hを超えています。  飯舘に入る前に、これだけの数値が出ますと、いくら福島出身者とはいえ、正直、動揺してしまう自分がおります。  そして、飯舘入り。全村避難を余儀なくされたため、あたりに人影はなく、ただ、むなしくガイガーカウンターの高い数値を超えると鳴る、電子音だけが響いていました。 110717c.jpg  4.8μSv/h超という、極めて深刻な値。これでは当然、子供はもちろん、大人も含め、全ての人が住めない状況と言わざるを得ません。  いわずもがな、早急なる東電と政府の対応が求められます。  とりわけ、迅速な東電の補償が必要ですが、彼らはその気はほとんどないに等しいでしょう。もちろん、原発の最前線の現場で頑張っている人は別にして、幹部たちはいかに、補償額を減らすかに没頭しています。  やはり、一企業はそんな補償をしたくないのが本音であるし、その補償額を巡って、住民と百戦錬磨の東電交渉役とで対立しても、情報がふんだんにある東電が優位に決まっています。  そこで、賠償スキームについては、政府が一旦、住民を保証し、その後に政府が東電に賠償額を請求するというものを、私は推進します。  これは、自民党の河野太郎さんが言っていたものですが、私はそんな時こそ、党派を超えて、一致団結して、原発対応にあたるべきと思います。  ちなみに、南相馬の方の話によれば、今まで、こうした放射性濃度が高い地域に足を踏み入れた政治家はほぼ、皆無に近いそうです。  私は政治家こそ、危機迫る最前線の現場に駆けつけ、その状況を体感し、あるべき政策を実現すべきと、つくづく思いました。  国会のごたごたを見ると、本当に彼らには何も頼れないと実感します。  「そんな暇があるならば、放射性濃度の高い現場で実際に作業して額に汗し、考えろ」と、全ての国会議員に言いたくなります。  そうすれば、時間的に「そんなことをしている暇がない」ことに、彼らも気づくはず。  と言っても、なかなか、そんな腰の軽い議員はいませんので、引き続き、自分は自分で故郷福島と川崎との懸け橋になるべく、努めていきます。
今日は、昨日のブログでご案内したように、私が介護士時代にお世話になった、湖山医療福祉グループの福島県二本松市にある施設、特別養護老人ホーム「みどりの郷」にて、活動させて頂きました。
110716a.jpg ホームの前にて
 学生たちに課したのは、主に、昨日の南相馬での経験を活かした、要介護避難者の方を中心としたご高齢者への話し相手ボランティアです。  全員が平成生まれの彼らにとっては、80歳代以上の方が多いこの施設の場合、自分達の祖父母よりも年上の方との交流ということになります。ちょうど、私の世代の祖父母くらいの方々です。  というわけで、はじめは彼らも戸惑っていたものの、ご高齢者の優しさと、職員の方の親身な指導により、大いに楽しみながら、ボランティアを行えたようでした。  とりわけ、私のかつての大・大・大先輩に当たります、稲本施設長と斎藤事務長には、私ともども、昔のように大変、お世話になりました。  (ただ、今でもお会いすると緊張しますが・・・(汗)&(笑))
110716b.jpg 縫物が得意な方から、そのやり方を教わっているところ。
 当初の予定は、学生が話し相手ボランティアに来て、ご高齢者を元気づけるということでしたが、逆に、彼らの感想によれば、彼ら自身が多くの学びを得た機会となりました。  とはいえ、ご高齢者にとっても、孫よりも若い学生との交流は、よい刺激になられたご様子で、お互いにとって、非常に意義あるひとときとなった気がします。  しかし、それも昔と変わらず、温かく私たちを受け入れてくださった、湖山医療福祉グループの方々のおかげですので、この場を借りて、改めて感謝いたしたいと思います。  本当に有難うございました!

11/07/16 本日は南相馬です

 学生さんとともに、南相馬にいます。  昨日の深夜から南相馬に向けて、学生さんと出発しました。(写真1)  若い人たちの力を借りて、またまた、土砂さらいに精を出しました。(写真2) 110715d.jpg 110715c.jpg なお、今回は、被災者の方々の遺品整理にも、炎天下の中、お手伝いさせて頂きました。(写真3)    アルバムをはじめ、思い出の品々が多く見つかり、その泥落としをしました。  少しでも、被災者の方々の手に戻せるよう、学生たちも私に負けないくらい、埃まみれになりながら、一生懸命、頑張ってくれました。    福島出身者として、本当に嬉しく、また、若者達から、私自信もパワーをもらいました。    なお、明日は、私が介護士時代にお世話になった、湖山医療福祉グループの老人施設である、二本松のみどりの郷にて、学生ともどもお世話になります。  南相馬からの要介護避難者の話し相手ボランティアを、学生達が頑張ります。  乞うご期待くださいませ。
 福島はじめ、被災地の方々が等々力アリーナに避難されておられますが、来月には閉鎖になります。  しかし、皆さん一様に、先の見通しが見えない中、不安そうな面持ちでした。  現在は、善良な市民の皆さんからの支援の中、なんとか、暮らしておられます。
110619.jpg 避難所に集まった衣服
 横浜でも、急に避難所を閉鎖するとしたことで、避難者の皆さんが行き場のない不安に陥ったことは新聞にも出ていました。  川崎も同じ轍を踏まないためには、閉鎖後の生活支援はもちろん、何よりも、特に勤労世帯に対しては、雇用確保に注力せねばなりません。  ここ等々力でも、それが不十分であったがために、市営住宅に転居した方が、結局、暮らせなくなり、避難所に戻ってきた例があるそうです。  もちろん、避難所の現場最前線の職員たちは、一生懸命、頑張ってはいました。  しかし、彼らだけが頑張ったところで限界があり、やはり、雇用確保で避難者の自立支援を図らなければ、避難所閉鎖が仇となることは間違いありません。  それゆえ、経済労働局や国の機関であるハローワーク等とも連携し、避難者が働くことができ、自立できる環境づくりを応援していくべきであり、我々、政治家もそうした行政の縦割りをなくし、避難者の目線に立って、政策を訴えていかねばと、思いを新たにしました。
 先日、放射性物質は体内に蓄積されるのかという命題に対し、今回はその簡単な解説です。  結論から言えば、理論上は蓄積されません。  まず、皆さんご承知のように、放射性物質は自然界に多く存在しており、普段から我々は被ばくしながら生活をしています。  例えば、野菜や根菜類を食べれば、カリウムという放射性物質を吸収することになります。ただし、カリウムは血圧を下げたり、老廃物を体外に排泄することを助けたりというように、必ずしも放射性物質全てが悪というわけではありません。そして、カリウムも代謝や排泄で体外に放出されます。  さて、今、問題になっているのは、放射性ヨウ素とセシウムが体内に蓄積されるのではとのことが話題になっています。  また、これらが空気中に発生後、完全に除去されるには何年もかかるとも言われます。  ただ、体内摂取の場合、半減期というものがあり、一定の時間を経ると、それこそ、代謝や排泄により、半減していきます。  それは年齢により異なります。  おおよそですが、乳幼児ならばセシウムは9日、成人は70-90日、ヨウ素は乳幼児が11日、成人ならば80日とされています。  やはり、代謝のいい、子供のほうがその時間は短くて済みます。  両放射性物質とも一定の日数を経れば、100が50、50が25、25が12.5・・・というように、半減していきます。  よって、それほど、過剰に反応しなくても、人体は自然に放射性物質を体外に排出しますので、それはご安心いただきたいと、福島出身者として、節に願う次第です。よって、先月、タウンニュースにも書きましたが、落ち着いた購買行動をとっていただくことが、福島や茨城の農業従事者への一番の支援になりますので、お見知りおきを頂ければと思います。 先月投稿記事→ http://www.townnews.co.jp/0201/2011/05/27/105550.html
 昨日は放射性物質や放射能といった言葉の定義について、簡単に述べさせていただきました。  本日は、人体に放射線が入った場合にどんな影響が出るのかを図示しながらお話しします。 110612.jpg  上図のように、普通に生活をしているだけでも、人体は被ばくをしています。  日本での年間被ばく量は、2.4ミリシーベルトです。  そして、上に赤字であるように、100ミリシーベルトを超える被ばく量でなければ、今まで人体に影響があった記録はないようです。  昨今、「川崎の放射性濃度が高い」とご心配をされておられる方々が多いのですが、私も子を持つ親として、気持ちはよくわかります。  しかし、今の川崎の放射線量は、0.05マイクロシーベルト前後で安定的に推移しています。  マイクロシーベルトという単位は、ミリシーベルトの1000分の1の単位です。  ですから、単純に計算しても、0.05マイクロシーベルトの放射線を1時間に浴びるとして、仮に外に1日、多く見積もって15時間いたとしたら、0.75マイクロシーベルトです。  それに365日を掛けたとして、273マイクロシーベルトであり、国内の平均被ばく量にも満たない量となります。 同じ単位に合わせてみると、国内の平均被ばく量 2.4ミリシーベルト ≧ 今回の量 0.273ミリシーベルト  以上より、川崎にいる分には、ほとんど問題がないことがわかります。  とはいえ、「一度、体内に入った放射性物質は蓄積されれば、被ばく量はおのずと増してくるのではないか」という声をよく耳にします。そのお気持ちも本当によく理解できます。  そこで、明日は放射性物質が体内に蓄積されるのかという視点から解説いたします。
福島出身者として、そして、民主党の「川崎の放射性物質対策」の調査担当になりましたので、これを機会に簡単な基礎知識を何回かに分けて解説したいと思います。  まず、そもそも放射性物質に関して、放射能、放射線等の言葉をよく耳にします。  でも、そもそもそれらは一体、どんな定義なんでしょうか?  それらは、蛍に例えるとわかりやすいんです。 110611.jpg  「放射線」は放出されるエネルギー、 放射線を出す能力を「放射能」放射線を出す物を「放射性物質」といいます。  よくテレビでは、こうした言葉が飛び交っていますが、確かに言われてみれば、私もよく違いがわかっていませんでした。  そこで、読者の皆さんには、これから何回かに分けて、ちょっとしたミニ知識の情報提供をしていきたいと思います。
本日午前は昨日に続いて瓦礫の撤去作業を行いました。  途中、雨がぱらつく中での作業となりましたが、放射性物質にさらされながら暮らす人達のことを思えば、作業を中断する気にはなれず、なんとか、午前中はやりきりました。  午後からは、現場リーダーの判断により、中止となったので、午後は地域における原発の調査のための時間と致しました。
110514a.jpg 20k圏域におけるバリケード 110514b.jpg 20k圏内の主な被災状況〜赤色が被災の厳しい地域
 もちろん20k以内は入ることができませんので、圏域の瓦礫撤去はまだ、進めることができません。  とはいえ、原発周辺自治体の放射線濃度はそれほど高くはなく、南相馬は1マイクロシーベルト(以下「mSv/h」と標記)未満。  しかし、その周辺自治体である40−50k圏の郡山市や福島市、そして私の故郷である石川郡等は、風の影響により1mSv/hを連日、超えている状況です。  南相馬での明日の作業後、故郷等を中心に、周辺自治体の状況を見ていきたいと思います。
 南相馬は原発から20−30k圏内の場所であり、避難勧告と自宅退避勧告とが混在していた場所です。  がれきの街を見渡せば、主要道でのがれき撤去は、一定程度進んでいる状態です。
110513a.jpg 南相馬の主要道
 ただ、重機が入って行けない場所は、人力で瓦礫撤去をするしかない状況です。
110513b.jpg 瓦礫運び作業
 本日の瓦礫運びは、10人でチームを組んで行いました。  関東や中部、遠くは北九州からの人もいました。  みんなで瓦礫を運ぶこと、約2時間、大量の瓦礫が出ました。
110513c.jpg 作業後、一軒の家から一部ではありますがこれだけの瓦礫が出ました。
 家の中のものは塩水にかぶり、家財道具をはじめ、全てが瓦礫と化していました。  明日も引き続き、瓦礫撤去作業を頑張ります!
 絵本や児童図書、コミック等、約1200冊を避難所や学校に直接、届けました。  宮前区鷺沼にて行っていたこの活動も、多くの方々のご協力に、改めて感謝したいと思います。
110512a.jpg 多賀城市の避難所の子供たちへ絵本と靴を渡した後 110512b.jpg 仙台の六郷中学校に図書を渡した後
 被災地の子供たちは、食料や水といった物資は既に豊富にあり、求められるべき支援は、第2段階の「心のケア」に入ってきました。  この段階で被災地ニーズと外部支援とのマッチングがうまくいかないと、結局善意の食糧なども廃棄処分をするという状況になってしまいます。  私は選挙中から、「次の段階の支援に役立つもの」という所に的を絞り、「絵本」や衣服という言葉により忘れられてしまう「靴」を集めてきました。  これからもこの活動は引き続き、続けていきたいと思いますので、来週からまた、被災県出身者として、頑張ってまいります。  明日は、南相馬市入りします。
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 仙台で「えほん」と「靴」をNPOさんと一緒に数カ所の避難所を回って直接配布活動をしました。   また、明日のブログで詳細をお知らせします。  とり急ぎですみません!

11/05/10 仙台南相馬へ

川崎市議会議員・そえだ勝  明日未明、皆様からお預かりした約1300冊の絵本と子供靴を被災者へお渡しするため、震災直後以来のボランティアとなりますが、仙台南相馬へ行ってきます。  その状況は追ってお知らせいたします。
川崎市議会議員・そえだ勝  皆様からお預かりした「えほん」と「子供用くつ」を被災地へ持っていきます!  この連休明けから約1週間にわたり、仙台市と福島県を中心に、お預かりした絵本や子供用靴をいよいよ運んで<きます。  そのため、毎週土曜日に鷺沼駅頭で行っていたえほん収集活動ですが、再開は、21日(土)13時〜16時となります。  これからも引き続き、ご家庭に眠る絵本とえほんと子供用の靴(洗濯済みであれば中古でも大歓迎!!)を大募集しております。  ぜひ、「えほんを送ろう!被災地へ」(←写真参照)ののぼりのところへお持ちください。  また、当日お持ちできなくとも、宮前区内であれば、お預かりにご自宅へまいりますので、ぜひ、メール等にご連絡頂ければと思います。  選挙の最中に開始した活動ではありましたが、被災地出身者として、何かできることはないかと始めて早1ヶ月を過ぎ、お陰さまで1,200冊を超えるご協力を頂きました。  有難うございました。責任を持って、被災地へボランティアをしながら、運んできます。  なお、被災地での活動状況についても、後日、また、ブログ等でご報告して参ります。
 本日開催予定でした「「絵本と子供用靴を送ろう」被災地へ!は雨天のため急遽中止とし、来週に延期と致します。ご用意されていた方には申し訳ございません。
 絵本を収集し、被災地へ運ぶ活動をやっておりますが、同時に子供用の靴が被災地では極度に不足しているとの情報を得ました。  被災地には「衣服が足りない」ということをよく耳にすると思いますが、その言葉に隠れてしまい、同じ身につけるものでも、靴が忘れ去られていたのです。  なお、衣服については一定程度、満たされてきているようです。  そこで、先週の土曜日の絵本収集活動時には、告知はしておりませんでしたが「子供用の靴」を集めることも同時に呼び掛けたところ、早速、10足を超える靴を集めることができました。  これまた毎度ながら感謝です。  今週の土曜日(23日)午後も鷺沼駅にて「絵本」と同時に「子供用の靴」(洗濯済みであれば中古でも大歓迎!!)を集める活動も本格的にやってまいりたいと思います。 23日加筆・・本日雨天のため急遽中止とし、来週に延期と致します。ご用意されていた方には申し訳ございません。  今後は、政治活動と同時に復興支援にも力を入れていきます。  2児の父として、特に未来を担う子供たちへの支援に注力して参ります。
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 選挙期間中の4月2・3日の終日と昨日16日の午後、鷺沼駅にて、皆さんのご自宅に眠る絵本の収集活動を行いました。  単に選挙運動をするのではなく、「被災地になにか役立つ活動をせねば」との思いから『えほんを送ろう!被災地へ』というイベントを致しました。  多くの方にご協力を頂き、実に昨日まで1,306冊もの絵本を集めることができました。  この絵本は、仙台市を中心に、各被災地へ私が直接、配達致します。  これからも絵本の収集活動は、中長期的に「毎週土曜もしくは日曜の午後」、鷺沼駅を中心に行っていきます。  引き続き、ご協力の程、宜しくお願い致します。
110330.jpg  4月3日(日)終日、鷺沼駅周辺にて、「えほんを送ろう!被災地へ」のイベントを行います。  ご家庭に眠る絵本がありましたら、ぜひ、「えほんを送ろう!被災地へ」(写真参照)の「のぼり」のところへお持ちください。  福島県出身者として、責任を持って被災地へお届け致します。  福島の行政の友人たちから、「子供たちのために、えほんを集めてくれ」という要望を受け、この活動を始めることにしました。  今回の震災復興は一過性のものではなく、かなり長期戦になりますので、このイベントは、選挙の後も行います。引き続き、ご協力の程、宜しくお願い致します。

11/03/28 義援金活動への感謝

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 みなさんこんにちは。  そえだ勝です。  28日現在、義援金が1,173,898円となり、前回に続いて、再び、福島県庁の義援金口座に振り込みました。  福島県出身者として、本当に感謝しております。  この宮前区内にも、私の甥っ子同様、福島から避難をしてくる方が非常に多くいらっしゃり、そうした方から感謝のお声をかけて頂く機会が増えました。  ただし、これは私が感謝されることではなく、温かい思いを義援金という形で託してくださった皆さんのお陰です。  私は福島県出身者で、この活動は当たり前のことであり、これからも自分の責任において、やり続けて参りたいと思います。  引き続き、宜しくお願い致します。
110323.jpg みなさんこんにちは。  市政を志す、そえだ勝です。  宮前区の皆さんのおかげで、4日間で1,036,064円を集めることができました。 3月17日 153,451円 3月18日 151,696円 3月19日 434,513円 3月20日 296,404円 −−−−−−−−−−−−−−−  合計 1,036,064円  昨日、福島県庁の県人会担当の口座に振り込みました。  福島県出身者であるゆえ、福島県人会としてのたった1人からはじめた義援金の活動も、多くの方にご賛同頂き、ボランティアでお手伝いをしてもらいました。  政治活動とは切り離して、福島県出身者としてのこの活動には、多数の宮前区民の方々にお力添えを頂きました。  「頑張ってね」「少しでも役立てて」「福島の人なら頑張らなきゃね」等々、義援金だけでなく、有難いお声掛けを、本当にたくさんの方から頂きました。  福島県に生まれた人間として、宮前区の皆さんの温かみが本当に心に沁みる思いがしました。  改めてこの場を借りて、御礼致します。本当に有難うございました。
 みなさんこんにちは。  市政を志す、そえだ勝です。  我が故郷福島県が被災した翌日、私は介護福祉士として、被爆危険地域の最前線の避難所に生活支援に入ったことは述べました。  被災者の方から、燃料不足の他に、被災により財産を失い交通費がなく福島を出られない、という声を少なからず、聞きました。  そこで、宮前区でも出来ることはないかと考え、福島県出身者として、義援金を集め始めました。  たった1人から始めた活動も徐々に賛同者が増え、1日に10名以上のボランティアさんにお集まり頂きました。 そして、多くの方に義援金のご協力も頂き、福島県人として、嬉しく心強く思いました。  宮前区の皆さん本当に有難うございました。
 みなさんこんにちは。  川崎市政を志す、そえだ勝です。  本日付で、タウンニュースに「福島人としてお願いしたいこと」と、銘打って投稿させて頂きました。 110318.jpg  私自身が被爆危険地域のすぐそばに実家があるため、内容としては、宮前区の方々に退避場所としての受入について、いろいろとお願いさせて頂きました。  とはいえ、そのほかにもできることはないかと考え、昨日から政治関係者としてではなく、被災地の「福島県人」として、募金活動をはじめました。  賛同してくださる方は多く、かわいいお子さんから金髪の若者、そして、ご高齢の方々まで、老若男女問わず、募金してくださいました。  正直、福島県人として、涙が出るほど嬉しく、そして本当に有難く思いました。  これからも政治活動とは切り離して、ライフワークとして続けて参りたいと思います。  皆様のご協力を宜しくお願い申し上げます。  なお、本日寄せられた義援金は福島県の福島県災害対策本部へ送金させて頂きます。  本当にありがとうございました。
東北関東大震災で被災された方々に 心からお見舞い申し上げます。
 さて、今回は政治という立場ではなく、被爆危険地域のすぐ隣、福島県石川郡(福島第一原発から半径40-50k圏)出身者として書きます。  私は自分の故郷である福島県が被災地というだけでなく、被爆の危険性があるという情報を受け、震災翌日、福島の原発被災者避難所へすぐに駆けつけました。  実際に、介護福祉士として、自分にできることは何かを考え出来る限りのことはしました。  入浴ができない要介護者への入浴支援や清拭支援、排泄介助など、現場で介護士に求められたことは全て行いました。  しかし、そんな中、原発の猛威はそれをも吹き飛ばす事態となり、3月15日18時現在、屋内退避が20kから30kに拡大されました。実際に私の携帯にも知人から、「とにかく福島から離れねばならない」という助けを求める連絡が複数入りました。  また、私の祖父母や兄夫婦、友人たちはもちろん、幼い甥たちをも被爆の危機にさらされています。  それゆえ、これから自分にできることは何かを考え、政治関係者という立場ではなく、福島県人という立場から、支援の輪を広げていければと考えております。

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