そえだ勝ブログ

2018年3月アーカイブ

題名にありますが、病院目の前の薬屋さんを、いわゆる「門前薬局」といいます。今回の改定の中で、「門前薬局」から「かかりつけ薬局」へという流れに政府は変えようとしていますが、私は素朴にそれがうまくいくか疑問です。長いので2回に分けて書きます。

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その理念自体は賛同します。どういうことかと言うと、政府の狙いは、「かかりつけ医」ならぬ、「かかりつけ薬局」を患者が選択しやすい流れにしていくことで、薬剤師が独立した立ち位置から、患者の立場に立って、医師の処方内容が適正かどうかをチェックしやすくすることを目指しています。

大病院の前に軒を連ねる薬局が門前薬局ですが、ここは顧客の獲得が非常に容易と言われています。皆さんもご自身が病院から処方箋をもらった後の行動を考えて頂くとお分かりになると思いますが、「目の前の薬屋に無意識に入店」している方が大半ではないでしょうか。

一方で、かかりつけ薬局というのは、一般的には住宅街の中にあり、皆さんの居住地域付近にある薬局を一般的には指します。皆さんが「ちょっと風邪気味だから、薬をよく買う店」です。皆さんとは、いわゆる「顔なじみ」の薬屋さんであり、皆さんも近いという理由だけでなく、「互いの顔が見える関係」、ひいては「信頼関係」があるから、足を運ぶという方も多いかと思います。逆に薬局側から言えば、患者からの信頼獲得の努力なしに、営業が難しい立場と言えます。

さて、どちらが顧客獲得しやすいかというと、それは門前薬局です。なぜならば、既述のように、営業努力というよりも、絶対的な「立地優位性」があるためと言われています。無論、大半の門前薬局さんは一生懸命に運営をされておられると思いますが、報酬改定で門前薬局は報酬が下がることになります。

さらに、大手門前薬局については、特定の病院からの処方箋が全体の85%を超えた場合、より報酬を下がることになりました。

そして、かかりつけ薬局との「経営の公平性」を図り、ひいては、報酬で優位になる「かかりつけ薬局」へ業態変更を促そうということを狙って改定されますが、私にはそれに対して疑問があります。長くなるのでそれは次週申し上げます。

まず、先の震災でお亡くなりになられた方々に対し、ご冥福をお祈り致します。

そして、現在も震災の影響で大変な思いをされておられる方々に対し、心からお見舞い申し上げます。

 

さて、あれから、早7年。思い起こせば、初めて政治活動を行っている最中、大震災発生。

故郷福島の友人から「原発が怪しい。大変なことになるかもしれない」という一報を受け、居ても立っても居られない心境になりました。そして、手伝ってくれていた方々や家族の反対を押し切り、活動をほっぽりなげて、翌12日に東北へ出発。

 

大量の食料品を積んで、まずは13日未明に廃墟と化した陸前高田入り。ご承知の通り、言語に絶した風景がありました。その場に立ち尽くし、涙が止まらなかったものの、気持ちを切り替え、食料品を渡し、その後、道なき道を南下。気仙沼、石巻、仙台若林区、多賀城と食料品を渡し、日付変わって14日深夜に福島入り。

 

 原発では友人の予告通り、既に12日に1号機の水素爆発は発生しており、避難の車が列をなす異様な雰囲気。私は原発から4045k地点をベースキャンプに活動を開始することにしました。そこに向かうため、避難の車とは逆方向に、私は車を走らせることとなりますから、当然恐怖心もありましたが、そんなことは言ってられない、という気持ちが勝っていました。

 

そして、持っていた食料品を配って回っている最中の14日に3号機が水素爆発、翌日には5号機が水素爆発の報。正直、ますます、被曝の恐怖心が高まりましたが、「せっかく来たのに後悔したくない」という思いで、介護士として、老人ホームや避難所での高齢者のお世話にまい進した日々でした。

 

その後、川崎に戻ってからは義援金のお願いをし、実に150万円近くまでご協力を頂き、福島県庁担当者に渡すことができました。さらには、「絵本を送ろう被災地へ」ということで、中古絵本を募ったところ、1500冊以上の絵本が集まり、それものちに被災地の保育施設や児童施設にお渡しすることができました。

 

それから半年後、今度は地元の卸売市場である、北部市場での福島県産品の販売会もさせて頂き、こちらも地元の皆さんから応援を頂きました。その翌年には福島復興支援ツアーも行い、その後は、定期的に福島と川崎の人との交流の機会を作ったり、川崎以外でも福島の状況を講演させて頂き情報発信等をしながら、現在に至ります。

 

さて、そんな中でのあっという間の7年。当時、私の甥っ子が小26歳・3歳で着の身着のまま、川崎の私の所へ避難しておりましたが、もう今は中3・中1・小4です。時が経る中、よく懸念されることは、記憶の風化です。

 

それゆえ、私のできることは、引き続き、福島の被災者の代弁者のつもりで、川崎の皆さんに事あるごとに、記憶を風化せないように、情報を発信していくことだと思っています。川崎でも心無い、いわゆる「原発いじめ」が学校で起きたり、被災者への補償金に対する誹謗中傷があったりと、まだまだ、そうした偏見は解消されていません。私はこれからも被災者の気持ちに寄り添い、そして、そうした偏見とは戦っていく覚悟です。長くなりましたが、福島出身者だからこそ、微力ですが精一杯、努力していきたいと思います。


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