そえだの勝ブログ

逆・介護保険の講演 ~死生観を考えさせられた新潟県での講演から(4)~

前回は小学生を想定した死生観についての教育的観点から述べました。今回は中高生を対象に考えた場合です。

家族化が増えている現状がある一方で、同時に進んでいるのが独居老人や老々世帯の増加です。今さら当たり前の話で何が言いたいのかというと、今の子供たちは私たちのころに比べて、高齢者との接する機会が絶対的に少なくなっている可能性があることです。無論、これは正確なデータがあるわけではありませんし、実際の核家族化(親とともに暮らさずに子と孫だけで暮らす家族の増加)の進行は戦後復興期や高度成長期頃から言われてきたものです。

とはいえ肌感覚ですが、私たちの子供の頃を振り返れば、近所のおじいちゃん・おばあちゃん世代の方から、いたずらをしてよく怒られたものです。そして、その数年後に「あそこのじいちゃん亡くなったぞ」なんて話を聞き、「そうかあ。よく怒ってくれたあのじいちゃん逝っちゃったかあ」と感傷に浸ったものです。つまり、私たちの子供時代のほうが「人の死」が現在よりも身近に感じられる場面が多かったような気がするのは私だけでしょうか
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厚労省のデータを見ると、私の子供時代はまだ、
3-4割の高齢者は自宅での最期だったようです。

さて、話を本題に戻しますが、前回ブログに書いたように小学生が「動物の最期」を看取るならば、私は中高生には「人の最期」に接する機会が必要と考えます。医療機関や介護機関等へのボランティアや見学に行くことが授業の一環で行われている学校もあるようですが、さらに一歩踏み込んで、ターミナルケア(人の最期のケア)やホスピス(緩和治療などの死が確実な方の医療ケア)の現場等に足を踏み入れさせるべきと考えます。

そうした現場を目の当たりにすることはもちろん、そこで働く方の話を聞いたり、何よりも死期間近の方の話を聞くことを通じ、子供たち自身が「死」について意識することへと繋がっていくと思います。それこそが「死生観」を養うこと、そのものだと感じます。

今の子供たちにこうした経験を積むことで、いざ我々が「送られる側」になる時、我々が「最期の意思表示」をする一方で、子供たちがそれを「受け入れられる」ことに連動していくのではと考えます。

死生観についてここまで長きにわたり書いてきましたが、死生観ブログ第一話目で「人のあるべき最期」とは「その人の望む最期」と触れましたが、そのためには遺族がそれを受け入れられるソフトインフラ構築、すなわち、子供の頃からの死生観教育あってのことだと思います。今まであまり触れられてこなかったこの問題に対し、今回の逆・介護保険講演を通じて考えさせられてきましたが、4度にわたり私の考え(だいぶ長文でしたが・・・)を書く機会を得られたことに感謝したいと思います。このことについては、ぜひ、別の機会に皆さんと意見交換できればと思っております。ここまでお読みいただきありがとうございました。


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このブログ記事について

このページは、そえだ勝の公式 Webサイトが2017年5月 2日 12:00に書いたブログ記事です。

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