そえだの勝ブログ

逆・介護保険の講演 ~死生観を考えさせられた新潟県での講演から(3)~

死生観について、今回は教育的観点からの話です。

最近の小学校では「ウサギやニワトリ、イヌ」などの動物を飼育するところが減少傾向にあります。理由は鳥インフルエンザ等の感染症予防のためにそうした傾向にあるようです。私はこの動きには疑問があります。

確かに動物からの感染症の危険については、私が小学生時代であった約
30年前と比べれば否定はしません。しかし、その危険性があるとしても、動物に触れる際はビニール手袋やマスクの着用等の他、その後の手洗いうがいにより、そのリスクは回避できます。もっと言えば、手袋やマスクをしなくとも、頻回な飼育小屋の掃除により衛生状態を良くし、除菌石鹸での手洗いやうがいの徹底をするだけでも、感染の危険性は極めて低くなります。そうでなければ、今頃、飼育動物からの感染症の危険が大問題になっているはずです。

さて、私がなぜこんなことを書いているのかと言いますと、子供が動物の世話をすることは大いなる「命の教育」になるからであり、いずれはそれが各人の死生観を形成するに役立つと考えるからです。高学年ならば餌やりや飼育小屋の掃除をすることで、育てる責任感を育成することにもなります。低学年ならば動物と触れ合う中で、「かわいい」という感情が自然に湧きでることで、優しい心を育むことにもなります。


余談を一つ書きますと、今の時代、過剰なる感染症への危険が叫ばれ、生徒にトイレ掃除をさせる小中学校が減っている現状があります。このことは自分たちが使用させて頂いている学校施設への感謝の念が薄くなるということにもなり得、そのことの方が人間形成上、よっぽど危険なことだと私は感じます。

話を戻しますが、動物を育てることは子供らからすれば、「どうしたらもっとウサギのウーちゃんに喜んでもらえるか」「休み期間の餌やりや掃除をどのように子供同士で分担して回していけるか」「外敵からどのようにウーちゃんを守っていけるか」等々、子供たち自身が「自分の頭を使って考え、皆でそのやり方を話し合って決定していく」という、社会では不可欠な能力形成に繋がる、重要な教育機会にもなると思います。

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いずれウーちゃんが老化していく姿を子供らが目の当たりにすることで、「老い」というものを身近に感じる機会になります。そして、皆がウーちゃんに元気になってもらえるよう、今まで以上に頭を使って接するようになりますから、それもまた、一層の教育機会になります。しかし、その奮闘むなしく、ウーちゃんが最期を迎えたとき、子供たちが悲しみ、そして、お別れの会などを催したならば、子供たち皆が感ずるものがあり、それこそが死生観形成への第一歩になると考えます。

子供たちがそうした経験を通じ、命を育んでいくことの難しさを感じる一方で、それと同じくらいの喜びや楽しみも感じることができ、そして、生命の末期や最期を見届けることで、そのはかなさや悲しみを知り、そして、死を身近に感じることで、生命の大切さを知ることになっていく、重要な機会こそが学校での動物飼育と考えます。

人間の死生観に話を戻せば、無論、人間と動物との死を同等にすることはできませんが、どちらも大切な命であることは誰も否定のしようがありません。昨今の動物虐待問題や子供による理解不能な殺人事件等、生命の大切さを知らない人間の引き起こしているものです。生命の大切さを感じる人が増えれば、当たり前ですが、そうした事件は減少していくでしょう。


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このページは、そえだ勝の公式 Webサイトが2017年5月 1日 08:53に書いたブログ記事です。

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