そえだ勝ブログ

2017年5月アーカイブ

今回は外国人介護人材の活用を少し振り返ってみたいと思います。スタートは2008年の経済連携協定(EPA)からです。そして、インドネシアやフィリピン、ベトナムから約1500名を受け入れました。そして、介護施設等で働きながら、知識や技術を学び、介護福祉士の国家試験に合格すれば、ほとんど制限なくそのまま働き続けることができるというものです。

しかし、ここで思わぬ事態が発生します。それは資格取得者の帰国です。日本語の勉強から介護のホスピタリティまで、当事者は苦労に苦労を重ねそれを会得した一方、彼らを指導する側に当たる受け入れ施設も物心両面でのサポートをしたにも関わらず、こうした現象が起きました。その割合はおよそ2-4割というパーセントです。

なぜ、彼らは帰国を選んだのかといえば、厚労省の調査によると、「業務のハードさ」「家庭との両立が難しい」「体調を壊した」等々、金銭的待遇が悪かったというよりも、労務面での問題が大きかったようです。実はこの問題は日本人の介護士や看護師にもあてはまり、離職理由の小さくない割合がこれらの問題により占められています。いつもはこの労務問題は深堀しますが、今回は紙幅の関係上、その議論は別の機会にします。

一方で、日本での経験は「新しい経験ができた」「介護というものに触れられた」等々、肯定的に捉えられている面もありました。そもそも、インドネシアやフィリピン等には、介護職という職種は存在しません。彼らは母国ではあくまでも看護職です。国情の違いから、平均寿命が短いことや高齢者ケアは国や保険ではなく、家族に任されているためです。ゆえに、高齢者への接し方や介護手法等、高齢者の「医療支援」ではなく、「介護支援」、ひいては「生活を支える支援」は、彼らにとってはまさに初めて得た知見であったといえます。

つまり、EPAの送り出し諸国にとって、日本の介護というものは、全くの新しい職能分野といえ、それは日本が他のアジア諸国へ伝えることができる「価値」であると考えられます。そうした価値創造やそのブランディング(創造した価値をさらに高めること)により、それをアジア諸国に広めていくことで、介護だけでなく、日本そのものの価値が上がる一因にもなると思われます。

少し話が拡散しましたので、本題に戻すと、今後来日する技能実習生についてですが、彼らの語学のレベルはN4(基礎的な日本語がわかる)というレベルであり、N3(介護福祉士国家資格取得に必要とされるレベル)には達していない場合が想定されています。
(参考までですが、日本語能力試験を運営する国際交流基金の定義によると、N1-5という指標は、1が最高であり、1-2レベルはあらゆる場面での日本語が理解できる高い能力であり、4-5は学校や教室での日本が理解できる程度の能力とされ、N3というのはその中間くらいに位置する能力だそうです)

それゆえ、新しく来日する人への対応については、「日本からの帰国者との接点」を来日前にいかにもってもらえるかが重要になってきます。そこで、今後の日本の対応としては実習生の帰国を強制的に止めることはできないので、彼らが帰国してからのち、彼らが「日本のスピーカー」になってもられるような仕組みづくりが必要と、私は考えます。 彼らに「日本ファン」になってもらうということですね。

それが新しい来日者にとっては、来日前に日本語や日本文化、ひいては日本の介護に触れる機会ともなり、受け入れ施設にとっては一定程度の日本についての知見ある実習生を受けられることにも繋がっていくと思います。送り出し国と受け入れ国である日本とが、いかにウィンウィンの関係を築けるかが大切です。次回からの③と④はそのための具体策を皆さんと共に考えていく回です。
昨年の11月、外国人技能実習適正実施法と改正入国管理法が成立したことを受けて、経済連携協定(EPA)を締結した国だけでなく、それ以外の国々からの介護人材の受け入れに期待が高まっています。技能実習生の現行制度での介護施設等の実習期間は、3-5年であり、介護福祉士資格取得により、滞在期間の更新も可能となります。

現段階での日本の介護職従事者数は、約177万人とされ、団塊世代が後期高齢者になる2025年には、その数が約38万人不足するといわれます。この想定を受けて、それまでは農林水産や鉱工業などに限られていた外国人技能実習制度の範囲を広げて、新たに在留資格として、介護が位置付けられることになりました。

しかし、今後は日本だけでなく、アジアの主要各国が高齢化していく中、介護人材の奪い合いが起きるとの予測がなされています。現段階でも、韓国や台湾はすでに介護人材の不足が叫ばれ、今後は中国もそのようになっていくとされています。そうした中で、東南アジア諸国の介護人材の奪い合いに発展するとの予測が非常に多くあります。その意味で、「日本に来ることに価値がある」と東南アジア諸国に感じてもらわねば、人材獲得競争には勝ち残っていけません。

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さて、ここまでは誰もが言う話です。上図をご覧下さい。内閣府が出した、1950年から2060年までの各国の高齢化率です。日本が高齢化率で最上位であることに変わりありませんが、他の国々もどんどん、高齢化率が高まっていくことが予測されています。欧米ではイタリアやドイツをはじめとした主要国、アジアでは中国や韓国をはじめ、シンガポールやタイ等が高齢化していくことが予想されています。また、この図には入っておりませんが、台湾も約10年後には高齢化率が20%を超え、ものすごい速さで高齢化していくとされています。その速さは日本の約1.5倍、アメリカの約3倍、イギリスの約7倍ともいわれ、いずれ台湾の高齢化ペースは世界一になるという予測もあります。
 
この予測は高齢先進国である日本にとっては、アジアにおけるプレゼンス(存在感)を高める大きなチャンスであると私は考えます。しかし、政府の施策を見ていると、短中期的には外国人介護人材確保に注力するという点で共感しますが、中長期的な視点が欠けていると感じます。それは介護を人材確保という観点だけでなく、知財としての価値を見出すという観点からも捉えていくということです。

これから東南アジア諸国の介護人材は、日本をはじめとするアジアの主要国による獲得競争になるといわれます。日本としては単に待遇だけを他国よりも良くして人材を確保するという点のみであれば、おそらく、他のアジア諸国には獲得競争で敗れるでしょう。その点のみであれば、いずれは中国やインド等をはじめとする新興国には勝てなくなるでしょう。そこで、「日本へ行くことの新たな価値」を彼らが見いだせるようにしていかねばなりません。それが人材確保につながり、そして、ひいては日本の介護ブランド価値創造にも繋がっていくと考えられます。

そこで、次回以降は日本のEPAの変遷を振り返りながら、日本が世界に提供できる介護の価値について、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
起きている状況を理解することが難しいと言われています。ゆえに、避難の必要性が理解できないのみならず、どう避難すればよいかがわからないと思われますので、それを分かり易く伝える必要があります。声をかけても無反応の方もいるようですので、そこは再度、声かけをする等の姿勢が大切です。

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●家の中にいた場合
①コミュニケーションが難しい場合があるため、否定的な表現ではなく、肯定的な表現で語りかけることが重要です。例えば、「危険だから行くな」ではなく「安全なところに行こう」や、「走るな」ではなく「ゆっくり歩こうね」というようなイメージです。
②精神障がい者の方々の時と同じように、その方が1人の場合は一緒に行動して頂くことが重要です。指示はわかりやすく、具体的に話すことが大切です。

●具体的な誘導の仕方
手を引く、あるいは肩に軽く手をかけ、ゆっくり誘導します。触れられることが苦手な方もおられるため、その際はジェスチャーが有用です。

●避難所では
①異なる環境になるとパニック状態になる場合があるため、その際は優しく声がけし、落ち着くまで見守ります。怒ったり力づくで抑え込むことは逆効果になります。
②コミュニケーションはゆっくりはっきり、そして根気よく繰り返してとります。コミュニケーションボードも有用です。
③避難後すぐには難しいですが、支援状況が落ち着いて来たら、専用空間やお気に入りのものを用意すると比較的落ち着きを取り戻すといわれます。
④けがや体調不良に気づかない方もおられるので、注意を払います。例えば、頭を指さして「頭痛いですか」と聞くと、気づかれる方もおります。
⑤順番に並ぶ際は、「なぜ並ぶのか」を分かりやすく説明することが有効です。

●補足
①複数の方がおられた場合、一斉声がけでなく、個別に声がけをしないとこちらの意向が伝わりにくいとされています。また、簡単で分かり易い言葉が重要です。
②反射的に「わかった」と言うこともあるようですので、ご本人の様子を注視する必要があります。
③言葉が出てこない方もおられるため、表情や身振り等を確認しながら、話すことも重要です。

以上、3回にわたり、災害時に障がい者の方へのフォローアップの仕方を書いて参りましたが、すべてに共通することはとにかく、「落ち着いて接しつつ、障がい者の方に安心して頂く」ことが最も大切です。障がい者の方々は災害時、いわゆる「災害弱者」と言われる方々ですので、みんなでフォローしていける地域づくりに向けて、これからも注力していきます。
◆言語障がい者
脳梗塞等の後遺症により、コミュニケーションが難しい方もおられます。
そうした方には、ゆっくり・短く・はっきりと話します。書く場合は要点を漢字で書きます。あるいは答えを選べるようなコミュニケーションも有効です。例えば、選択肢を提示して話したり、YES/NOで答えられるような意思疎通です。なお、答えをせかすようなことは禁物です。

◆肢体不自由者
避難できず自宅に残っておられることが考えられるため、声かけや安否確認が重要です。

●具体的な誘導の仕方
避難場所へは車いすを押してください。人により押し方も異なる場合があるので、ご本人とよく話しあう必要があります。また、車いす移動ではなく、抱えるなどして移動する場合は車いすも運びます。車いすは人によりサイズや形が異なるため、体に合ったものでないと肢体不自由者の方は大きな苦痛を伴うことになります。

●避難所では
障害物をまたいだりすることができないため、通路の確保が重要です。

◆内部障がい者(人工肛門等をつけている方や透析患者、前回書いた聴覚障がい者等の一見すると障がいがわからない方)
既述のようにコミュニケーションに注意を払うほか、とりわけ、注意が必要なことは「飲食物」です。非常食などで対応できない方がおりますので、その方の情報把握が重要です。

◆高次機能障がい者(脳に障がいがある方)
脳卒中等の病気や交通事故等で脳に損傷を受けたことにより、言語や記憶や思考等に障がいがある方を指します。文字や話の内容に対して理解が難しいことが考えられるため、要点を簡潔に伝えることの他、できればメモで渡すことがより効果的です。

◆精神障がい者
対人関係が難しい場合があるため、避難や避難所においては通常時以上に不安等に駆られる可能性が高いため、優しく声がけをすることが大切です。例えば、「大丈夫です」「みんな一緒ですから、安心してください」等です。

●具体的な誘導の仕方
その方が1人の場合は一緒に行動して頂くことが重要です。指示はわかりやすく、具体的に話すことが大切です。

●避難所では
①とにかく、「不安を和らげてあげる」ことが重要です。心の動揺は伝わりやすいため、冷静な対応を心がけてください。
②体調の異常を訴えられない方もおられるので、しっかり注意を払います。
③てんかんの方は薬がないと発作がでますので、早めの薬準備を避難所スタッフに伝える必要があります。

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次回最後の回は知的障がい者、自閉症者の方々について書きます。

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◆視覚障がい者
視覚障がい者は周囲の状況が見えないため、私たちがすべきことはまず、「どこに逃げればよいかを教える」「避難場所へ誘導しお連れする」です。

●具体的な誘導の仕方
①肩や腕を貸し、半歩前を歩く
②押したり、引っ張ったりはしてはいけない(目が見えないため、とても不安になるため)
③誘導に際しては、周りの状況を伝える。
方向を示す際は、時計の針の位置で伝える(「正面は12時の方向」、「右は3時の方向」、「左は9時の方向」というような感じ。

●避難所では
①視覚障がい者はすぐに触れられる壁やその反響音で自分の居場所を確認するため、避難
所の体育館などといった広い空間には慣れていません。ゆえに、居場所については本人の状態と希望を考慮し、パーテーション(間仕切り)をつけた空間確保が重要です。
②視覚障がい者は掲示されている情報が読めないため、新たな情報については代読し説明する必要があります。
③もし、避難所スタッフが次のことに気づいていなければ伝える必要があります。
生活必需品である白杖、点字器、点字用紙、点字シール用タックテープ、携帯ラジオなどを確保するよう避難所関係者に伝える必要もあります。

●家の中にいた場合
・災害時、視覚障がいのために外出や避難ができず、家にとどまっていることがあります。自治会や町内会、ご近所さん同士で安否確認し、場合によっては食糧や物資を提供する必要も出てきます。

◆聴覚障がい者
耳が聞こえないため、避難警報やラジオ、防災無線等の音声が聞こえないため、そうした「情報を紙に書いて教えてあげる」ことです。災害に気づかないこともあるため、早めに知らせることが重要であり、危機迫る状況の場合は、身振りや指さしで避難誘導をせねばなりません。
 
●具体的な誘導の仕方
①声による会話が厳しいので、移動している際は急に話しかけず、筆談が重要です。
②視覚障がい者と異なり、聴覚障がい者は見た目には分かりづらく周囲からの支援が受けにくいため、意識的な気配りが大切です。

●避難所では
①安否確認の電話ができないため、代わりに電話をしてあげて下さい。
②避難所スタッフに聴覚障がい者がいることを伝え、手話や要約筆記者等の手配をお願いしてください。
③物資の配給やアナウンスやラジオなどの音声情報等は、紙に書いてわかるように伝えます。

●家の中にいた場合
①聴覚障がい者を探しに行った際は、声による呼びかけが聞こえないため、懐中電灯で照らす等、目で見てわかる方法で知らせる必要があります。
②通信機器による連絡は、電話ではなく、FAXやメールなどが有効です。

●補足
①すべての聴覚障がい者が手話を使えるわけではありませんので、筆談や携帯画面での会話、あるいは身振り手振りやジェスチャーなども大切です。
②会話は口の動きがわかりやすいよう、マスクは外してゆっくり話します。
③聴覚障がいと視覚障がいをもつ、盲ろう者もおられます。その場合は触手話、とはいえ、それができる人は少ないでしょうから「手のひらに文字を書く」ことも有効です。

以上です。ぜひ、意識して頂ければ幸いです。次回は言語障がい者、肢体不自由者、内部障がい者(人工肛門等をつけている方や透析患者等の一見すると障がいがわからない方)、高次機能障がい者(脳に障がいがある方)、精神障がい者の方々について書かせて頂きます。
結論から言いますと、題名にあるように今日は単なる前置きです。次回以降、「障がいをお持ちの方を、そうでない方がフォローできるようにするため」に知っておくべきことについて書きます。長くなるので、障がい別に何回かに分けて書きます。

現在の東アジア情勢を教室に例えると、アメリカくんという風紀委員長が今まで、学校や教室の雰囲気を守ってきた。そんな中、中国くんという最近、発言力をつけてきた生徒が台頭してきて、「学校から家が遠いアメリカくんより僕の家が近いから僕がやるよ」と言ってきて、自称「風紀委員」を名乗りはじめた。そして「見回り」と称し、学校内外の至る所に顔を出すようになり、アメリカ風紀委員長と仲の良い日本くんの庭先にもしょっちゅう勝手に出入りするようになり、日本くんにとってはとても迷惑な存在。

そんな中、日本くんと同じくアメリカ風紀委員長とお友達の韓国くん。彼の隣の席は「風紀委員もへったくれもない」という、教室ではおじいちゃんの代から浮いた存在であり風紀を乱してきた北朝鮮くんという荒くれ生徒がいる。しかし、彼は昔から中国くんの言うことはわりと聞いてきた経緯があるものの、最近は「俺は俺でけんかが強いことが大切だ」みたいなことを強調し、スタンドプレーが多い。中国くんにとっては、彼がいないとアメリカくんと仲の良い韓国くんや日本くんと隣の席になってしまう。だから、中国くんは彼に強く言えない。そんな中国くんに業を煮やし「いい加減にしろ」と最近、アメリカ風紀委員長が彼に圧力をかけ始めた。

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それを受けて荒くれ者の彼は「だったらお前の友達の韓国くんはもちろん、その隣の席の日本くんも殴るぞ」と言っている。そこで韓国くんはいつも実践的武道を習い、殴っても殴られてもいいようにけんかに備えている。一方、日本くんの場合、「先に殴られないとけんかができない」という、日本家の家訓がある。しかも、日本くんは実に70年以上、けんかをしたことがない。日本くんが先に殴られた場合、荒くれ生徒のパンチ一発ならばなんとかガードできる可能性がある。だが、常識的感覚に欠ける彼は、パンチと蹴りと頭突きを同時にやってくる危険性(ミサイルの同時複数発射)があり、その場合、日本くんがガードできる保証はどこにもない。それが今の東アジア情勢ですね。

現在、何が起こるか非常に読みにくいため、自分たちの身を守るすべのみでなく、障がいをお持ちの方へのフォローアップについて知っておくべきと考え、次回以降、書いていきます。なお、今の日本外交については、私の地元ではまともに話せる政治家を現時点では見ていないため、私が言いたいこと、ひいては言わねばならないことは山ほどありますが、まともに書けば、数万字の論文になると思いますので、今回は外交については前置きのみにしておきます。
 
前置きが長くなりすみません。
さてさて、そんな状況だからこそ、災害の備えをしておかねばなりません。よく「備蓄」や「避難場所確認」などが叫ばれてそちらはだいぶ周知されてきておりますので、次回以降、あまり知られていないけど、重要なことの一つである「障がい者への配慮」について、障害者社会参加推進センターさんの情報を参考に3回に分けて書かせて頂きます。

先日、大田区のこども食堂「気まぐれ八百屋 だんだん」さんに行ってきました。

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一緒に写っている近藤さんこそがまさに、全国的に広まってきた「こども食堂」の名付け親です。

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こども食堂とは「貧困家庭の子どものためのもの」と思われています。これは決して正確な意味とは言えません。こども食堂とはあえて定義づけると、「誰でも来たい人が低料金で食事をとりながら集える場」です。しかし、なぜ既述のように思われるかといえば、「できれば特に貧困家庭の子や孤食(1人で夕食を摂らざるを得ない子)の子に楽しい食事の場を提供したい」という要素もあるからです。

これは素晴らしい考え方ですが、正直、「ではどの子がそうした子なのか」ということを見分けるのは難しいことです。

そこで、だんだんさんは「誰でも来たい人が低料金で食事をとりながら集える場」をコンセプトに地域の居場所として欠くべからざる存在となりました。

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子供たちだけでなく、地域のお年寄りも集い、「擬似3世代交流」の場にもなっています。個人情報の関係で食事風景は出せませんが、地域の素晴らしい居場所です。そうして地域の人々が集うことにより、子どもやお年寄りがみんなで食べることのおいしさや楽しさを感じることができ、そうして何気ない会話がなされる中で、子供や高齢者等の家庭の問題や地域の課題を吸い上げ、関係機関につなぐという、いわば「ワンストップの相談窓口」機能を果たしておられます。

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現在の地域は「隣にだれが住んでいるかもわからない」という状況も少なくない中、そうした居場所の存在は極めて重要です。次回ブログから災害における地域での対策について取り上げますが、言うまでもありませんが、中でも重要なことの一つは地域のつながりです。

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子供の気持ちを汲み取っていくのみならず、地域の居場所として重要なこども食堂について、私は引き続き応援していきたいと思います。宮前区でも、有馬地域の居場所であるアリーノさんで第1号がスタートしま全力で後押ししていきます。


前回は小学生を想定した死生観についての教育的観点から述べました。今回は中高生を対象に考えた場合です。

家族化が増えている現状がある一方で、同時に進んでいるのが独居老人や老々世帯の増加です。今さら当たり前の話で何が言いたいのかというと、今の子供たちは私たちのころに比べて、高齢者との接する機会が絶対的に少なくなっている可能性があることです。無論、これは正確なデータがあるわけではありませんし、実際の核家族化(親とともに暮らさずに子と孫だけで暮らす家族の増加)の進行は戦後復興期や高度成長期頃から言われてきたものです。

とはいえ肌感覚ですが、私たちの子供の頃を振り返れば、近所のおじいちゃん・おばあちゃん世代の方から、いたずらをしてよく怒られたものです。そして、その数年後に「あそこのじいちゃん亡くなったぞ」なんて話を聞き、「そうかあ。よく怒ってくれたあのじいちゃん逝っちゃったかあ」と感傷に浸ったものです。つまり、私たちの子供時代のほうが「人の死」が現在よりも身近に感じられる場面が多かったような気がするのは私だけでしょうか
?

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厚労省のデータを見ると、私の子供時代はまだ、
3-4割の高齢者は自宅での最期だったようです。

さて、話を本題に戻しますが、前回ブログに書いたように小学生が「動物の最期」を看取るならば、私は中高生には「人の最期」に接する機会が必要と考えます。医療機関や介護機関等へのボランティアや見学に行くことが授業の一環で行われている学校もあるようですが、さらに一歩踏み込んで、ターミナルケア(人の最期のケア)やホスピス(緩和治療などの死が確実な方の医療ケア)の現場等に足を踏み入れさせるべきと考えます。

そうした現場を目の当たりにすることはもちろん、そこで働く方の話を聞いたり、何よりも死期間近の方の話を聞くことを通じ、子供たち自身が「死」について意識することへと繋がっていくと思います。それこそが「死生観」を養うこと、そのものだと感じます。

今の子供たちにこうした経験を積むことで、いざ我々が「送られる側」になる時、我々が「最期の意思表示」をする一方で、子供たちがそれを「受け入れられる」ことに連動していくのではと考えます。

死生観についてここまで長きにわたり書いてきましたが、死生観ブログ第一話目で「人のあるべき最期」とは「その人の望む最期」と触れましたが、そのためには遺族がそれを受け入れられるソフトインフラ構築、すなわち、子供の頃からの死生観教育あってのことだと思います。今まであまり触れられてこなかったこの問題に対し、今回の逆・介護保険講演を通じて考えさせられてきましたが、4度にわたり私の考え(だいぶ長文でしたが・・・)を書く機会を得られたことに感謝したいと思います。このことについては、ぜひ、別の機会に皆さんと意見交換できればと思っております。ここまでお読みいただきありがとうございました。

死生観について、今回は教育的観点からの話です。

最近の小学校では「ウサギやニワトリ、イヌ」などの動物を飼育するところが減少傾向にあります。理由は鳥インフルエンザ等の感染症予防のためにそうした傾向にあるようです。私はこの動きには疑問があります。

確かに動物からの感染症の危険については、私が小学生時代であった約
30年前と比べれば否定はしません。しかし、その危険性があるとしても、動物に触れる際はビニール手袋やマスクの着用等の他、その後の手洗いうがいにより、そのリスクは回避できます。もっと言えば、手袋やマスクをしなくとも、頻回な飼育小屋の掃除により衛生状態を良くし、除菌石鹸での手洗いやうがいの徹底をするだけでも、感染の危険性は極めて低くなります。そうでなければ、今頃、飼育動物からの感染症の危険が大問題になっているはずです。

さて、私がなぜこんなことを書いているのかと言いますと、子供が動物の世話をすることは大いなる「命の教育」になるからであり、いずれはそれが各人の死生観を形成するに役立つと考えるからです。高学年ならば餌やりや飼育小屋の掃除をすることで、育てる責任感を育成することにもなります。低学年ならば動物と触れ合う中で、「かわいい」という感情が自然に湧きでることで、優しい心を育むことにもなります。


余談を一つ書きますと、今の時代、過剰なる感染症への危険が叫ばれ、生徒にトイレ掃除をさせる小中学校が減っている現状があります。このことは自分たちが使用させて頂いている学校施設への感謝の念が薄くなるということにもなり得、そのことの方が人間形成上、よっぽど危険なことだと私は感じます。

話を戻しますが、動物を育てることは子供らからすれば、「どうしたらもっとウサギのウーちゃんに喜んでもらえるか」「休み期間の餌やりや掃除をどのように子供同士で分担して回していけるか」「外敵からどのようにウーちゃんを守っていけるか」等々、子供たち自身が「自分の頭を使って考え、皆でそのやり方を話し合って決定していく」という、社会では不可欠な能力形成に繋がる、重要な教育機会にもなると思います。

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いずれウーちゃんが老化していく姿を子供らが目の当たりにすることで、「老い」というものを身近に感じる機会になります。そして、皆がウーちゃんに元気になってもらえるよう、今まで以上に頭を使って接するようになりますから、それもまた、一層の教育機会になります。しかし、その奮闘むなしく、ウーちゃんが最期を迎えたとき、子供たちが悲しみ、そして、お別れの会などを催したならば、子供たち皆が感ずるものがあり、それこそが死生観形成への第一歩になると考えます。

子供たちがそうした経験を通じ、命を育んでいくことの難しさを感じる一方で、それと同じくらいの喜びや楽しみも感じることができ、そして、生命の末期や最期を見届けることで、そのはかなさや悲しみを知り、そして、死を身近に感じることで、生命の大切さを知ることになっていく、重要な機会こそが学校での動物飼育と考えます。

人間の死生観に話を戻せば、無論、人間と動物との死を同等にすることはできませんが、どちらも大切な命であることは誰も否定のしようがありません。昨今の動物虐待問題や子供による理解不能な殺人事件等、生命の大切さを知らない人間の引き起こしているものです。生命の大切さを感じる人が増えれば、当たり前ですが、そうした事件は減少していくでしょう。


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