そえだの勝ブログ

逆・介護保険の講演 ~死生観を考えさせられた新潟県での講演から(2)~

人の最期は現在、病院で迎える方が約9割近くを占める一方、自宅や介護施設等の住み慣れた場所で最期を迎えている方は2割未満です。しかし、約50年前の同じ調査ではその数字は全く反対のものでした。厚労省の調査では「最期は住み慣れた場所で迎えたい」と考えている方が約7割近くに上っています。つまり、その意味は「延命治療を希望しない方」がそれだけ存在するという事実を示しているといえます。

前回から何度も言っておりますが、私は延命治療をするもしないも、それは本人の意思が尊重されるべきと考えます。しかし、多くの場合、最期はその意思確認が家族に託されるため、高齢者ご本人は延命治療をしない意思があったとしても、家族がそれを受け入れる決断ができないという現実があります。

しかし、私は、それは仕方のないことだと思います。現代人は「人の死」というものに慣れてはいません。ある意味でそれは長寿社会が実現しているという点では極めて結構なことですが、人には必ず死が訪れますから、そこから目を背けるべきではありません。いざ自分の親が最期を迎えるとき、初めて死を我がことに感じる方は少なくありません。それゆえ、いざ延命治療をするか否かの選択を迫られたときに冷静に受け止められる方はそう多くはありません。そして、いずれ必ず迎える自分の最期や親の最期に対して、慌てふためかないためにも、人の最期というものに接しておくことは重要と考えます。

そこで、私は医療介護的観点、そして、教育的観点から自分の考えを述べます。とりわけ、我々団塊ジュニア世代はこれから親を送る世代として、私もこのブログを書きながら皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

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まず、医療介護的観点から。(教育的観点はこれまた長文になるゆえ次回に回します)

死にゆく方(以下は「親」ということに)が病院でも介護施設でも、あるいは自宅で在宅医療介護を受ける場合でも、いずれにせよ最期を迎えるにあたり、親がある程度意思疎通可能な段階から親の最期における意思を確認しておくべきです。場合によっては書面にしておくことも必要でしょう。そして、それを確認後、医師をはじめとする医療介護関係者と親の最期はどうすべきかのコミュニケーションを密にとっておくことが重要です。

それでも実際に親の最期が近づいてくると、親の意思も確認し、自らもそれを受け入れる考えを示していたはずなのに、やはり、葛藤が生まれて決断ができなくなるということが多々あります。正直、私も含め、それは人間ならば仕方のないことです。

だからこそ、親の意思の書面化、その方を取り巻く関係者による意思確認のコミュニケーションが大切なのです。それを通じ、来るべき最期の時に向けた気持ちを整理していき、落ち着いて最期の時を迎えられることに繋がっていくと思われます。

送られる親自身や送る側である子や孫、医療介護関係者も含め、「皆が納得のいく最期」を迎えられる社会。私はそれはとっても素敵なことだと思います。次回は教育的観点から述べていきますが、これは団塊ジュニア世代である私たちが送られる側になるときに向けての私の考えです。


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このブログ記事について

このページは、そえだ勝の公式 Webサイトが2017年4月26日 20:01に書いたブログ記事です。

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