そえだ勝ブログ

2017年4月アーカイブ

人の最期は現在、病院で迎える方が約9割近くを占める一方、自宅や介護施設等の住み慣れた場所で最期を迎えている方は2割未満です。しかし、約50年前の同じ調査ではその数字は全く反対のものでした。厚労省の調査では「最期は住み慣れた場所で迎えたい」と考えている方が約7割近くに上っています。つまり、その意味は「延命治療を希望しない方」がそれだけ存在するという事実を示しているといえます。

前回から何度も言っておりますが、私は延命治療をするもしないも、それは本人の意思が尊重されるべきと考えます。しかし、多くの場合、最期はその意思確認が家族に託されるため、高齢者ご本人は延命治療をしない意思があったとしても、家族がそれを受け入れる決断ができないという現実があります。

しかし、私は、それは仕方のないことだと思います。現代人は「人の死」というものに慣れてはいません。ある意味でそれは長寿社会が実現しているという点では極めて結構なことですが、人には必ず死が訪れますから、そこから目を背けるべきではありません。いざ自分の親が最期を迎えるとき、初めて死を我がことに感じる方は少なくありません。それゆえ、いざ延命治療をするか否かの選択を迫られたときに冷静に受け止められる方はそう多くはありません。そして、いずれ必ず迎える自分の最期や親の最期に対して、慌てふためかないためにも、人の最期というものに接しておくことは重要と考えます。

そこで、私は医療介護的観点、そして、教育的観点から自分の考えを述べます。とりわけ、我々団塊ジュニア世代はこれから親を送る世代として、私もこのブログを書きながら皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

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まず、医療介護的観点から。(教育的観点はこれまた長文になるゆえ次回に回します)

死にゆく方(以下は「親」ということに)が病院でも介護施設でも、あるいは自宅で在宅医療介護を受ける場合でも、いずれにせよ最期を迎えるにあたり、親がある程度意思疎通可能な段階から親の最期における意思を確認しておくべきです。場合によっては書面にしておくことも必要でしょう。そして、それを確認後、医師をはじめとする医療介護関係者と親の最期はどうすべきかのコミュニケーションを密にとっておくことが重要です。

それでも実際に親の最期が近づいてくると、親の意思も確認し、自らもそれを受け入れる考えを示していたはずなのに、やはり、葛藤が生まれて決断ができなくなるということが多々あります。正直、私も含め、それは人間ならば仕方のないことです。

だからこそ、親の意思の書面化、その方を取り巻く関係者による意思確認のコミュニケーションが大切なのです。それを通じ、来るべき最期の時に向けた気持ちを整理していき、落ち着いて最期の時を迎えられることに繋がっていくと思われます。

送られる親自身や送る側である子や孫、医療介護関係者も含め、「皆が納得のいく最期」を迎えられる社会。私はそれはとっても素敵なことだと思います。次回は教育的観点から述べていきますが、これは団塊ジュニア世代である私たちが送られる側になるときに向けての私の考えです。

ほぼ毎月のように、逆・介護保険の講演依頼を全国の介護保険関係者等から頂きますゆえ、1期目と異なり2期目は出張が多く、県外(先方の都合上詳しい場所は明かせませんが)の活動も増えてきました。よく「政治家は票にならないことはしない」と言われますが、私の場合、選挙区であるか否かよりも、逆・介護保険が全国に広がり、いずれは介護保険法改正に繋げていくことが自分の志ゆえ、呼ばれればどこでも行きます。今まで、北は青森、南は大分まで行ってきました。

そんな中、先日は新潟県の某自治体にお邪魔してきました。いつも通り、1時間くらいの講演の後は同じく1時間くらいの質疑応答を兼ねたディスカッションの時間となります。すでに逆・介護保険に賛同を示してくださっているから講演に呼ばれるわけで、当日も概ね、賛同者がほとんどでした。

その際、特筆すべきことがあったときに限り、こうしてブログで書くのですが、今回は死生観についてです。今回も鋭くえぐられるような質問が飛びました。それは「逆・介護保険は高齢者を元気にするという点ではよいが、見方を変えれば命を長らえさせることであり、本来あるべきその人の死期をいたずらに伸ばすことになるのではないか」というもの。

「これは一本取られた」という感覚になりました。基本的にピンピンコロリを目指す政策が逆・介護保険ではありますゆえ、「いたずらに死期を伸ばす」というものではありませんが、「長生きして頂く」という点では考えなくてはならない視点です。さらに、重度介護状態の方においても少しでも状態改善を目指す政策が逆・介護保険ですから、その意味では確かにそのご指摘は非常に鋭いものといえます。

そうなると、あるべき人の最期とは、ひいては「本来あるべき死生観とはなんなのか」ということを考えねばなりません。「あるべき最期」というのは極めて曖昧な概念ですが、強いていえば「その人が望む最期」といえるのではないでしょうか。

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現状では「人の最期」については「残される親族の意思」ということになるケースが大半です。しかし、実際は「延命治療を行う否か」について、親族が医師から問われたとき、ほとんどのケースでは決断できず、その結果、延命治療を行うことになります。延命治療を行うか否かの決断を家族ができないとすれば、それをしないという選択を医師はとれません。それを行えば訴訟になりかねないリスクが医師には存在します。

もちろん、延命治療は決して否定されるべきことではなく、素晴らしい医療の一つではあります。しかし、現在はほとんどのケースでその選択肢しか取られていないということは考えねばならないと思います。なぜならば、「延命治療を行わない権利」もあるからです。延命治療の代表的な例の一つは、通称スパゲティー症候群と言われるものがあります。腕には多くの点滴を通し、口から食事ができない場合には胃に穴を開け管で直接栄養を胃に送る「胃ろう」を通し、排せつができない場合には前後に管を通して排せつし、呼吸ができない場合は喉に気管挿管をし呼吸を確保するなどといった具合に、体中に管を通すことからそう呼ばれます。

「どんな状態でも生き続けてほしい」と願う家族の気持ちは尊重されるべきである一方、「そこまでの状態になってまで生きなくていい」と考えるご高齢の方も少なからずおられ、私はそのどちらもが選択できるシステム構築が今、重要と考えます。

現状では前者のみの意思が実行に移されることが多く、それはそれで結構なことであるのですが、医療費に目を転ずれば延命治療を行うことによるそれは、年間一人当たり
800-1000万円程度とも言われ、ご家族の負担もその1割ですから80-100万円ということになります。日本では医療費は約40兆円かかりますが、そのうちの約40%は高齢者医療費とされ、その少なくない割合を延命治療が占めるというデータもあります。

無論、このことは私が「延命治療反対」という意味で書いているのではありません。繰り返しになりますが延命治療を希望する方にはその選択肢、一方で「希望しない方がそれを選択できる権利」も尊重すべきという意味で書いています。その環境作りのための方策として自らの考えを述べたいと思います。長くなるのでそれは次回に回します。本来、死生観については一地方ではなく、厚労や文科行政などが関連してきますが、ちゃんと述べている国会関係者を私は見たことがないため(下手をすれば批判の矢面に立つことになるため)、彼らの代わりにご批判覚悟で書いていきます。

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地域医療連携推進法人って、なんだそりゃ?」って感じを受ける方がほとんどだと思いますので、できるだけ簡単にわかり易くお伝えしたいと思います。


地域医療連携推進法人って、一言で言いますと、「複数の医療機関が一つの社団法人をつくることで、限られた医療資源を効率的に活用すること」ってな感じでしょうか。やっぱりまだまだ、わかりにくいですね。具体的なイメージをお伝えしたいので、以下もぜひお読みください。


2025
年は我々の親世代に当たる団塊世代が後期高齢者になる年です。当然ながら、医療機関で懸念される事案の一つは病床不足、ベッドの不足です。それを医療機関同士が連携し補完しあっていこうというもの。地域医療連携推進法人という社団法人が複数の医療機関によってつくられることで、それが会社の本社のような事務機能を果たします。

社団法人の構成メンバーであるAという満床の病院があれば、同じ構成員であるBという空きベッドがある病院へと患者が入院できるようにしていこうという仕組みです。

今後
20-30年の長期的観点でみれば、高齢化率は増えていくものの、高齢者数は減っていくため、当たり前ですが、安易に病院のベッドを増やしていくことは効率的とは言えません。それゆえ、都道府県は「地域医療構想」という計画を策定することが義務付けられていて、例えば当該地域に最適なベッド数などを決定しています。その実現の一手段として、地域医療連携推進法人の仕組みが言われています。45日現在で、全国で4法人が認定されています。

最近の傾向として、急性期(緊急な治療を要する時期)のベッドは比較的余裕があるが、慢性期(治療というよりも療養を要する時期)のベッドが少ないと言われます。そこで、急性期の空きベッドを療養期の患者が使えるようにする必要が出てきます。その点で、私はこの仕組みは後押ししていきたいと思います。

メリットは空きベッドの融通の他にも、互いが得意とする医療に、より注力することが可能になるように、互いが不得意を補い合える診療科目の補完性やそれに伴う効率的医療機能再編、物品を複数の医療機関が同時購入することで、少量購入でなく量を上げての購入による価格の低減化、職員研修も共同で行うことによる教育コストの効率化などの効果も期待されます。

限られた医療資源を有効活用していくことは不可欠なことです。この地域医療連携推進法人の考え方は、逆・介護保険で状態改善者を増やすことにより在宅生活者の増加に繋げ、地域の病院や介護施設という限られた福祉インフラを守り続けていくという私の考えとも軌を一にしている思いますので応援していきます。

ちなみに連携の仕方としては、
3次医療機関(高度医療)である大病院を中心としてそこの衛生的機能として1次医療機関(地域の診療所)や介護施設とが連携するような垂直連携、2次医療圏(高度医療以外で、予防から入院治療まで行う地域の拠点)とされる地域の同規模な中核病院同士が連携する水平連携等、いろいろな連携手法がありますが、そこまで書いていくとかなりマニアックな論文っぽくなってしまうので、とりあえずはこの辺で今回は筆を置きます。

先日、仙台市にて松下政経塾関係者の東北出身者とパナソニックさんの東北支店の方々との親睦会がありました。
東北出身者の会の会長は同じ福島南部の地元であり政経塾の大先輩である玄葉前外務大臣をはじめ、
北は青森から南は我々福島出身者まで、多くの関係者が集いました。多くの世話になっている先輩方やパナソニックの方々が足をお運び頂きましたが、紙幅の関係上、一部の方々のみご紹介させて頂きます。

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玄葉元外務大臣
松下政経塾 佐野理事長
逢沢元自民党国対委員長
松下政経塾長 河内山元柳井市長
小野寺元防衛大臣
村井宮城県知事


といったそうそうたるメンバーが顔をそろえ、東北復興に向けて、地域や党派を超えて、全員一丸となっていくことが決議されました。次回は福島開催ということで、私が事務局長に指名されました。既述のような方々を取りまとめることは、正直、「私には荷が重いなあ」と思いましたが、次の開催場所があの加賀屋を抜いて、旅館ランキング日本一に輝いた、私の幼馴染が経営する「八幡屋」であるため、有無を言わせず決まりました(苦笑)。。。。
 

八幡屋 http://www.yahataya.co.jp/

上記ホームページをご覧いただければわかりますが、本当に素晴らしい旅館です。ゆえに、今回の仙台のように力強い東北復興の決議がなされるかは「幹事の腕次第」という状況です(汗)。。。今後、より一層、東北復興、福島復興、ひいては川崎と福島の懸け橋になるべく、活動していく決意を新たにできた機会となりました。

先日、福島県石川郡古殿町へ行ってきました。ここは人口約5千人の小さな田舎町で、私の出身の石川町の隣町です。

そこで、この地域に古くから伝わる保存食「凍み餅(しみもち)」作りに励み、その伝統を後世に伝えていこうと頑張る、「ふるさと工房 おざわふぁーむ」さんにお邪魔してきました。
 

コメ農家を営む、小澤さんはコメを使った先人の知恵である「凍み餅」消滅の危機を感じ、一念発起し同工房を立ち上げました。そして、現在、子供たちや若いお母さん、あるいは都会からの伝統食に関心ある方々に対し、凍み餅作りを伝承しておられます。

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しかし、当初は小澤さん自身も「凍み餅」に身近な世代ではなかったため、作り方のイロハを地域の
80代の地元のおばあちゃん達から直接、ご指南を受けに回ったそうです。無論、我々団塊ジュニア世代にまで下ると、恥ずかしながら「凍み餅」の存在すら知らずに育ってきました。


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食材はもちろん、すでに出来上がった惣菜など、ネットやスーパーで簡単に何でも手に入る時代ゆえ、手間のかかる伝統食はどんどん、衰退の一途を辿ってきました。

写真のように、「凍み豆腐(こうや豆腐)」をつくるように、一つ一つ、紙に包んで、冬の寒気に当たらせ干していきます。もちろん、その前に炊いた米を潰して餅状にし、そして、一つずつ形作ってという、非常に手間暇のかかる作業があります。もち米よりも当然ながら手間がかかります。

しかし、その作業をしっかり行うと、凍み豆腐のように水で戻して食べるのですが、とてももっちりした本当においしい凍み餅ができます。

小澤さんのような取り組みは、先人の知恵を後世に残していくために、非常に重要な取り組みだと感じます。私も故郷に美味しい保存食が存在していたことを、ものすごく誇りに思いました。私たちの子供の頃は「郷土を学ぶ」というカリキュラムはほとんど存在していませんでしたが、今は子供たちの必修科目となっています。ゆえに、そうした取り組みは子供たちが自分たちの故郷を知るきっかけになり、ひいてはそれが郷土愛や故郷を誇りに思うことへ繋がっていくはずです。そして一方で、それを教える先輩世代としては大きな生きがいの創出につながっていくと思われます。


あの3・11を受けて、「川崎と福島の懸け橋になる」という志を立ててから早
6年、今も福島をはじめとした被災地と川崎との往復を行いますが、こうした地元の伝統食というものは、我々世代にとっては「温故知新」、まさに「古きを知りて新しきを知る」というものゆえ、非常に重要であり価値あるものと考えますから、引き続き、そうした活動の後押しはしていきたいと思います。


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