そえだ勝ブログ

2016年5月アーカイブ

松下政経塾時代の先輩で、現在は船橋市議を務める津曲俊明先輩の紹介で、学生インターン生とともに船橋漁港へ行ってきました。


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船橋市の漁協を取り仕切ってこられた、現・観光協会長の大野氏よりご案内頂き、「環境・景観」と「開発」について考えさせられる視察となりました。


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ここには「三番瀬」という、渡り鳥が多く飛来する美しい干潟があります。ここはかつて埋め立て事業で住民を二分する大激論になった場所であり、大野氏をはじめとする市民中心の「埋め立て反対派」と行政や財界を中心とする「埋め立て推進派」が知事選挙の争点になるくらい争った場所です。


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結果としては、大野氏をはじめとする海の生態系や景観などを守ろうとした環境保護派の努力、堂本千葉県知事の英断により、埋め立て計画は白紙撤回されました。船橋市民にとっては開発の荒波で実に9割の干潟は既に埋め立てられていて、唯一、船橋で残った貴重な干潟です。


こうした美しい干潟を将来に残していくべく、大野氏や船橋市民の皆さんは引き続き活動しておられます。


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さて、今回の訪問で思い出した昔話ですが、私は学生時代に廃棄物最終処分場建設のため、埋め立て工事を進めたい行政とそれに反対する市民とで対立していた、名古屋市の「藤前干潟」を訪問したことがあります。


今から20年近く前の話ですが、当時の名古屋市はごみ処分場が満杯状態であり、干潟を埋めてそこに処分場を作るしかない状況でした。しかし、結果としてはそれに環境庁(現・環境省)がストップをかけて建設計画はなくなりました。それを受けて奮起した市民と行政の努力により、現在の名古屋市は全国から視察が絶えないほどの「ごみ分別先進都市」へと生まれ変わりました。


この昔話と今回の視察で感じたことは、目先の開発ではなく、「人として何に価値を置くか」ということです。自分の子や孫に「何を残せるのか」、そうした「未来的な公益とは何か」を考えねばと、改めて感じさせられました。

 

実際にアメリカのニューオーリンズでは、「生態系と景観を最も重視した港湾整備」を進めた結果、環境的に良い影響はもちろんのこと、「美しい海を活かして開発した街」ということで観光客が絶えず、かえって経済性も高まったという事実もあります。


こうした事実も踏まえ、私は短期的な得ではなく、あくまで「中長期的に何が得か」という観点から引き続き活動していこうと、誓いを新たにできました。

先日、仙台市が新たに設置した、「津波避難タワー」を見学してきました。

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ここは比較的海岸に近い、宮城野区という場所ですが、高台から遠い市民向けに、地上4階建てで、バリアフリーを意識したスロープ式のタワーが作られました。

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さて、下記の写真が仙台市の工夫なのですが、階が上がるにつれて、赤⇒黄色⇒緑と、外から見える高さ表記と中に入って気づく床面ブロックの色が変わっていきます。

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具体的には、1-2階は赤、2-3階は黄色、3-4階は緑というようになっています。
そう、これは信号の色であり、「階層が上がるにつれて、安全な色になっていく」ことを意味しています。小さなことに思われるかもしれませんが、こうした気配りが非常に避難者の精神的安定性に繋がるとのことであり、いわゆる「避難パニック」を未然に防ぐ工夫だそうです。この精神的安定に繋がる工夫は、仙台を参考にして多くの他都市が取り入れたようです。

確かに、非常時は皆がパニックに陥りやすく、それによる2次被害もよく起こります。例えばこの事例のように避難中であれば、「将棋倒しによる窒息死」「パニック状態で避難者滞留が起きたゆえの逃げ遅れ」などがそれです。そうならないように、避難者が安心感を持つことは極めて大切です。

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これは非常に簡単に設置できる非常用トイレとワンタッチで開く個室用テントであり、これもまた震災経験からできた工夫であり、問い合わせが引きも切らないそうです。

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最後は座布団ですが、これはカバーを開けると、いざという時には救命胴衣になります。

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平時の集会でも有事でも活用できる、これまた、あっぱれな工夫用品でした。

仙台市の担当者はこう言います。「避難タワーを作るにあたり、単なる箱モノではなく、被災者の声に耳を傾け、実際に彼らが経験した問題を解決することに心血を注ぎ、官民知恵を出し合い完成させた」と。

やはり、震災の経験則はもちろんのこと、市民意見を十分取り入れたからこそ、全国的にも注目されるタワーが完成したと思います。

私も引き続き、市民とともに膝詰めで徹底的に対話を重ね、こうした震災対策はもちろんのこと、私の政策の2本柱である、介護問題と子育て・教育問題に取り組んでいく気持ちをさらに強くできた機会となりました。
松下政経塾の先輩で現在は東洋大学で観光政策の教鞭をとられている、島川崇准教授が受け持つゼミ生たちの成果発表会にお邪魔してきました。

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私も要介護者や障がい者の方々を中心とする「バリアフリー的観光」、福島出身者としての「被災地観光」など、私個人としてのライフワークとしての観光政策、あるいは川崎市議としての世界から国内、ひいては川崎に人を呼び込む、いわゆるインバウンド政策など、観光政策は関心ある分野です。

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とはいえ、介護政策と異なり、ほぼほぼ門外漢に近い政策分野において、事実上の学生発表における講評者的立場での訪問となり、非常に緊張しておりました。

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しかし、始まってみると、学生たちがペリリュー島への訪問から彼らなりに感じた、未来ある政策についての熱い発表を目にし、こちらも緊張なんぞ吹き飛び、熱い思いとなったよきひとときでした。

ペリリュー島とは昨年、天皇皇后両陛下が戦後70年を機にご訪問された場所であり、第2次大戦中、旧日本兵約1万人が敵の銃弾や火炎放射のみならず、飢餓や病気でほぼ全滅した激戦地の一つです。

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ペリリュー島の戦いはよく「忘れられた戦場」と言われますが、学生たちはその現場に敢えて飛び込み、現地調査をし、私たちに「忘れてはならない過去の大切さ」を教えてくれました。

そして、「過去を通じ未来を考える」というのが彼らの結論でしたが、「まさにその通り!」と感じ、講評というよりも、「素直に物事を見ることができる若い眼力」に、私が学ばされた機会となりました。

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