そえだ勝ブログ

2016年3月アーカイブ

既述ブログからの福島流れと言えばそうなりますが、同じ福島県石川郡出身の大先輩を訪ねてきました。

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荒川区でスーツの仕立て屋さんを営む、角田さん。この地で70年以上も仕立て屋一本で86歳の今も現役バリバリです。40年以上も前から使っている道具もいまだ健在です。

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機械化の波に押され、同業の仲間が次々に廃業を余儀なくされる中、裸一貫で東京に出てきた思いを胸に歯を食いしばり腕を磨き、機械には真似のできない技術を得て、今日に至るそうです。

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川崎にもマイスターと呼ばれる、いわゆる「匠の技」を持つ方々がおられますが、我が先輩も負けていなく、私はとても誇りに思えました。

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量産品の出来合いのスーツが世を席巻する中、いまだにこの値段で引き合いが後を絶たないとのことで誠に恐れ入りました。そして、角田さんは福島の活動にも積極的で、商売で得た収益の一部は復興支援のためにあてておられます。

そんな先輩がいるからこそ、私も引き続き、川崎と福島の懸け橋になるべく、頑張っていこうという思いを新たにできました。
 前回予告したように、請戸小学校についてです。
 請戸小は海に面する場所にあったため、もろに津波に襲われたものの、誰一人飲み込まれることなく、全員が生還できました。

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 卒業式を目前に控えた大事な時期に容赦なく津波が押し寄せました。

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 その際、先生は全員を学校から数キロ離れた高台に逃げるよう指示し、高学年はもちろん、低学年も火事場の馬鹿力でなんとか全員がそこに到達し、一命をとりとめました。

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 さて、この出来事ですが、何が奇跡かというと、上図の赤丸の部分、「請戸城跡」が高台の位置ですが、実はそこに誘導したのが先生ではなく、「生徒」であったのです。

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 もちろん、先生はその城跡が安全であることを普段からご存知であり、先生の誘導でそこに生徒たちは向かいましたが、その途中、そこに至る通常ルートには津波が迫り、行く手を阻まれました。

 一行が途方に暮れる中、その城跡でよく遊びまわっていた生徒が「僕が案内する」と言って、通常にはない山道を案内し、間一髪のところで全員が城跡に登ることができ事なきを得ました。

 その後、先生たちは「我が子に早く会いたい」と焦って連絡をしてくる保護者に次のように伝えました。
「絶対に高台付近には近づくな。波が引かなければあなた達が死ぬ。私たちが最後まで守る。自分の無事を考えてくれ」と。
 そして、津波が落ち着いてから、無事に保護者と生徒たちが再会へとこぎ着けました。

 子供が外で元気に遊んでいたからこそ道が開け、一方、先生もその子に運命を託した勇気があり、そして、親を早めに迎えに来させなかった正しい判断があったからこそ、死亡者ゼロという素晴らしい結果に繋がった思います。

 やはり、大人だけでなく子供も地域を知るということは大切であり、そして、何よりも先生をはじめとする、大人と子供の信頼関係が極めて重要である、ということを命懸けで私たちに教えてくれた出来事でした。

 最後にこの感動の話を教えて下さった語り部さんのご紹介です。
 原発震災を語り継ぐ会 花と希望を育てる会 高村美晴氏
浪江町は現状、いわゆる「避難指示解除準備区域(4月から戻ることが可能な地域)」とされる中、川崎には多くの避難者が暮らしておられるゆえ、そうした方々への支援の在り方を考えるために行ってきました。

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原発から半径5-10k圏に位置する同町は、日中のみしか、被災者でも入ることが許されていません。そのため、津波被害はそれほど深刻ではない一方、家屋の著しい老朽化や心無い窃盗団による空き巣被害は深刻の極みです。そんな状況下、次年度以降は政府が「帰宅許可」を出す予定となっています。

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語り部の方に、浪江町の被災地視察案内を兼ねて、現状をもろもろご教示頂きました。既述の現状にあるように、「とても帰れる状況にはない」と感じている人が非常に多いそうです。

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「そんな現状を鑑みずに政府は意思決定をしていると考える人も多く、政府への不信感は日に日に高まっている」とのことでした。

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また、川崎をはじめ、遠方に避難された方は、周辺に避難されている方や仮設住宅暮らしの方に対して、負い目を感じている方も少なくないそうです。その意味で、そうした方々へのメンタルヘルスの支援も川崎や避難先には検討してほしいとのこと。

さらには、避難してから5年が経過し、避難先での暮らしが既に成立している人が多いため、「浪江町への帰還支援というよりも、現実的には永住に向けた支援の方が川崎には求められるであろう」とも教示してくれました。

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私は第一義的には、本市は「帰還支援」をすべきと考えていましたが、語り部さんがおっしゃるような「永住支援」も重く受け止めるべきと感じました。また、現場を歩く中で感じたことは、「5年間人が住めない家」というものがいかに朽ち果てるものかということを目の当たりにし、永住についても支援を深めていこうと思います。避難されておられる方々には、「帰る」も「帰らない」も、いずれも選択できる環境づくりに向けて、私は動いていきたいと思います。

次回は、語り部さんから聞いた「浪江町立請戸小学校 奇跡の生還」について書きます。

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