そえだの勝ブログ

3.11から4年 ~福島出身者として~

いろいろと考えたあげく、なかなか、筆が執れず、遅ればせながらの投稿となります。 


あれからあっという間に4年が過ぎました。

この場を借りて、改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表すとともに、被災され、今、なお苦しんでおられる方々にお見舞い申し上げます。


思い起こせば、4年前の3.11の翌日、4月の戦いに向けた活動をほっぽりなげて、翌日に福島入りしたときのことが昨日のように思い出されます。


福島の介護仲間からの一本の電話。

「福島が大変だ。特に(原発から)半径30~40kmあたりの避難所はホーム(特別養護老人ホームなどを指す)からのじいさんばあさんでいっぱいだ。介護士が足りない。とにかく来てくれ」と。


選挙を前にした時期が時期だけに、さらには原発事故が全く読めない状況下、事務所のボランティアスタッフは皆、福島入りを猛反対しました。


しかし、私はあの時、正直、「ここで支援に行かなかったら公人になる資格はない。

ここから数週間は活動停止になり手伝って頂いている方には申し訳ないが、これで落ちるなら本望だ」と、暴走する気持ちしかありませんでした。

でも、今でもあの判断は間違っていなかったと思っています。


当時の現場は原発周辺の方々が次々と避難所に押し寄せる中、実際の現場は野戦病院のような状況と化し、避難所の廊下まで高齢者の方々が雑魚寝(ざこね)せざるを得ない現実がそこにはありました。

衛生用品(紙オムツや汗拭き、脱脂綿など)やベッドはもちろん毛布・布団などの身の回りのものは不足し、1人分の紙オムツを3等分して3人分として使用したり、段ボールを集めて簡易ベッドをつくったりなど、苦肉の策で凌いでいました。


でも、そこには手伝う人だけでなく、避難された方自身も含め、皆さんが助け合う姿がありました。

私にとっては当時、改めて「人は1人では生きていけない」ということを再認識させられた機会となりました。

つまり、「地域の絆」の大切さが身に染みて感じられた時間でした。


今振り返れば私は福島に行ったため、確かに他の候補者の人たちよりも活動量は少なくなりはしましたが、そんなことよりももっと大切なものを得た気がします。

あの時に感じた、「人のぬくもり」や「互いが互いを思いやる心」などを振り返りつつ、やはり、川崎でもそうした「利他の精神」を育んでいかねばという思いに改めてなりました。

4年目の今年、福島出身者として、そう動いていくべき責任が人一倍自分にはあると、感じさせられた今回でした。


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このページは、そえだ勝の公式 Webサイトが2015年3月17日 13:46に書いたブログ記事です。

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