そえだの勝ブログ

逆・介護保険導入に向けて③ ~現場と厚生労働省との意識のかい離~

久しぶりの逆・介護保険についてです。

現在、福田市長とともに、川崎での介護保険については、「介護の質に対する、成果報酬」導入に向けて、動いています。以下、長文ですが、ぜひ、最後までお付き合いください!!

さて、今回は第2弾の際に予告した、現場と厚生労働省との意識のかい離についてです。

第1弾の中で、「国の一律規制」がネックとなり、先行して行っている岡山市が壁にぶち当たっていることはすでに触れました。しかし、ここに現場と厚生労働省との意識のかい離があるのです。

厚労省は、「介護の質の評価をするのに、要介護度が重度なほど、介護の手間がかかる」という見解を示しています。これは言い換えれば、「要介護度が改善されれば、介護の手間は減る」といえます。

しかし、この見解こそが「厚労省が現場を分かっていない証拠」と私は考えます。その理由は以下です。
介護保険の立法趣旨は、「自立支援」です。
ということは、介護者は、被介護者の残存機能を積極的に使うような介護を心がけます。
例えば、Aさんは、左手は麻痺だが右手は使えるならば、Aさんの残存機能とは右手を使った動きができること。この場合、介護者はAさんの右手を積極的に動かすよう誘導し、右手の筋力を保持する介護を行います。
 
ここで、「介護の手間」とは何かを考えて頂きたいのですが、Aさんのケースについて、厚労省の見解では、「左手は動かないが右手は動くから、左右ともに動かない人の介護よりは、Aさんのケースのほうが手間はかからない」という解釈です。

しかし、本当にそうでしょうか? 子育て経験のある方ならお分かりになると思いますが、あまり動きの少ない0歳児のおむつ替えと、予測不能な動きをし騒いだりする2歳児のおむつ替えとで、どちらの手間がかかるかを考えると、厚労省の見解は必ずしも、正しいものではないと思いませんか?

介護の現場でもそれは同じです。半身麻痺の方のおむつ替えと、完全寝たきりの方のおむつ替えとでは、明らかに前者のほうが、それこそ、介護の手間がかかります。そこに、厚労省と現場との意識の差異がはっきりあると、私は考えます。

さらに、自分でできる身の回りのことができる機能、すなわち、残存機能が残っている方の介護は、「介護者は、被介護者が自分でできる行為は手を出さず見守る」という時間も出てきます。これは何を言いたいかというと、介護報酬は時間で区切られているため、見守る時間が長ければ長いほど、採算的には厳しくなることを意味するのです。一方で、寝たきりの方ならば、全ての介護を介護者が行うため、時間的には至極、短時間で介護は完了します。

したがって、「厚労省の見解は、現場の現実を全く反映していない」と言えるのです。もちろん、私が上記書いたことは、全てのケースに当てはまるわけではありません。例えば、認知症の方ならば、これは重度の方の介護のほうが、意思疎通ができない分、大変かもしれません。つまり、認知機能や精神状態といった内面に重きをおく介護ならば、厚労省の見解も否定はしません。一方で、身体的な側面といった外面の場合、これは甚だ、私は疑問に思っていて、「厚労省は、現場を知らない戯言(たわごと)」を言っていると思っています。

身体的機能が比較的軽い症状の人、つまり、要介護度が軽い人についての介護は、何らかの動機づけが必要です。逆・介護保険導入に向けての第2弾で書きましたが、「要介護度が軽い人(軽度者)は不採算」であり、その上、「真の手間」がかかるとなれば、事業者はそうした被介護者の介護を敬遠したくなります。そうなると、軽度者への介護をする引き取り手がなくなり、いわゆる「介護難民」化の危険性も否定できません。

さらには、そんな現実があるからこそ、「事業者が軽度者をさらに元気にする=要介護度を改善させる」という動機づけにはなり得ません。だから、要介護度を改善に対する成果報酬を付与する、「逆・介護保険」なのです。

第3回にわたってのシリーズ化を考えていましたが、まだまだ、書き足りないことが多々あるので、以後もこの私のテーマについて、定期的に書き続けていきます。

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このページは、そえだ勝の公式 Webサイトが2014年3月 7日 20:46に書いたブログ記事です。

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