そえだ勝ブログ

2012年8月アーカイブ

昨今のいじめ報道について


思いが強いため、長文ですが、お付き合いください。
最近、メディアでは、連日のように、子どもたちのいじめ問題が報道されています。大津市の悲惨ないじめ自殺問題を皮切りに、全国的に陰湿化するこの問題がクローズアップされています。

 

この問題が報道されるとき、よく学校側の不手際が取り上げられます。確かに、学校社会は教師と生徒のみで他の社会人の目がない、ある意味、「密室空間」といえ、不手際が隠蔽される傾向にあります。つまり、学校側に都合のよい、形で問題が終始してしまえるのです。

 

そのため、大津のように、いじめた子の保護者が元PTA会長で声が大きい輩ゆえ、学校がその責任追及を面倒に思い避けた結果、いじめられた子が悲惨な最期を遂げてしまいました。

 

また、仙台では、いじめた子がタバコの火をいじめられた子の腕に押し付けさせる、「根性焼き」が行われたにもかかわらず、なんと、いじめられた子が退学届を出させられるという、異常な事態が起きました。他にも学校の怠惰による多数の深刻ないじめ問題が報道されていることは周知の通りです。

 

しかし、こうした最近の学校側のみを責任追及する報道に、以下の3点から、私は少々、違和感を覚えます。(もちろん、以上のような学校の対応は大いに問題有ですが、いささか、偏っている印象を受けるため、敢えて、書いています。)

 

    真の責任所在が不明確⇒一番悪いのはいじめ加害者

    いじめられた子の学校社会復帰という最も大切な視点が欠落

    学校そのものでなく、現在の学校の評価体制に疑問を呈すべき

 

    については、「この問題で一番悪いのはだれか」ということです。

これについては、間違いなくいじめられた子でもなく、そして学校でもなく、まぎれもなく、「いじめた子」です!!

 

私は、いじめという「犯罪行為」に対し、いじめた子には、それなりの「社会的制裁」が不可欠と考えます。報道機関等は、それこそ、「人を批判することが得意」なわけですから、強硬論と思われるかもしれませんが、いじめた子には、徹底的に社会的制裁を与えることも必要と思っています。

 

無論、学校側の過失追求も大切ですが、それだけでなく、いじめた人間の責任追及はもっと重要と思います。相手が少年故、刑事罰での罰則に限界がある中、報道のような、いわば、「社会罰」的なものも肝要と思います。

 

なぜならば、いじめ問題は、いじめた側が確実にその行為を行ったことが確信されたうえで、表立っています。つまり、「冤罪」の可能性は皆無という前提があります。さらに、それを社会罰を加えることで、他のいじめ問題への警告的意味合いにも通じるのみならず、今後の抑止力にもなり得ると考えられます。

 

したがって、そこは徹底して行わないと、いじめられた側への示しもつかないし、真の責任所在が不明確になります。

仮に、いじめた側が小学生以下であれば、その保護者も含めて、徹底した厳しい姿勢が望まれます。

 

さて、②の「いじめられた子の学校社会復帰という最も大切な視点が欠落」についてですが、この問題は、非常にセンシティブなものではありますが、この子たちが学校社会復帰するための支援を、メディアも世論に働きかける

べきです。勿論、私たち政治家も、行政に対し、そうした支援を訴え続けるべきものではあります。

 

故に、こちらは①の「社会的罰則」ではなく、「社会的支援」の輪を広げる努力を、私たちもがんばりますから、メディアにはぜひお願いしたいです。

 

そして、③の「学校そのものでなく、現在の学校の評価体制に疑問を呈すべき」についてです。現在の学校の評価体制は、「いじめがない」ということが、高い評価を受ける一要素になっています。それゆえ、学校や教育委員会は、いじめを隠蔽する体質になりがちです。

 

しかし、これは根本的に誤っていて、残念ながらどんな社会においても、いじめは存在します。ましてや、子供社会であれば、なおさらでしょう。よって、こうした評価体制については、全く逆の発想が必要と思います。

 

それは、「いじめを早期発見、早期解決に導いた学校こそ、評価の対象にすべき」という手法です。当たり前と言えば、当たり前ですが、その当たり前のことに対して、誰も物を申せなかった戦後教育の歴史があります。とりわけ、政治の介入はタブー視されてきた経緯があり、教育界は独自の価値観で今までやってきたようです。

 

強いて言えば、文科省の手法に対してしか、介入できていなかった過去がありますが、結局、教育現場レベルになると、日教組の力が強く、なかなか、当たり前のことが当たり前に機能するような管理はできていなかったようです。

 

こうした経緯を踏まえると、私は今こそ、教育界の価値観を転換する時にせねばならないと思っています。とはいえ、いきなり、政治介入したからと言って、それがすぐに変わるとは思えません。私はそのためには、まず重要なことは、世論の正しい喚起にあると考えます。


私はその他事象については、政治がリーダーシップを発揮すべきと考えますが、教育については今まで、介入が許されなかった分野ゆえ、政治だけでなく、世論が正しい声を上げることを通じての「後押し」が必要と考えています。

 

そのためには、メディアの存在が欠かせません。メディアには、教育現場における評価手法を、「助けが必要な子を助ければ評価アップ」という当たり前の姿に変えるための情報発信をしてもらいたいと思います。無論、既述同様、私達政治家もその努力は欠かせませんので、そこは肝に銘じたいと思います。


以上、長文となりましたが、この問題には自らも強い思いがあるため、書かせて頂きました。

最後までお付き合い頂き、有難うございました。


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