そえだ勝ブログ

2012年5月アーカイブ

~私の意見は、今後も提供すべき。「市民が自ら選択できる環境」こそ重要~

 

先日、川崎市内の学校給食に提供される冷凍ミカンから、微量のセシウムが検出されたことが話題になりました。

それを受けて、横浜市や鎌倉市は給食で提供しないことを決定しました。

 

私は題名に書いていますが、「基準値以下の食物は提供すべき」というのが私の立場です。もちろん、私はそれを「提供すべき」といっているのであり、「食べるべき」とは言っていません。

あとで、詳細を書きますが、結論から言えば、給食という機会を通じ、「市民が自ら選択できる環境」を作っていくことが政治の責務だと思います。

 

■参考

市のHPより→ http://www.city.kawasaki.jp/88/88kenko/JHschoolLunch/housyanoukensakekka20120420.pdf

国基準 食品1kgあたり100bq以下。川崎の冷凍ミカン1kgあたり9.1bq。

 

とはいえ、それに対して不安に思われておられる親御さんがいらっしゃることも当然承知しており、私も子を持つ親として非常にお気持ちはわかります。そうした方々の意見も尊重する意味で、「給食でミカンを提供しない」という考えも理解できます。

 

しかし、逆にそうしたミカンも食べることで「被災地や日本の生産者を応援したい」と思っておられるご家庭も多く存在します。

そうした方々にも当然ながら、主張する権利があるわけです。

マスコミはとかく、面白くない話題は書かないきらいがあるため、サイレントマジョリティーであるそうした方々は表には出ません。

でも、私達、政治家はそうしたサイレントマジョリティーの声も聞いたうえで判断をせねばなりません。

 

冒頭にも書きましたが、前者の意見だけを聞き、ミカンを給食で提供しないということは、後者にとってみれば、「食べる権利の剥奪」とも言えます。

 

したがって、私の結論は、「食べる食べないも市民自らが選択できる環境」をつくることが政治の責務というものです。私は双方とも気持ちを尊重しますから、その結論なのです。資本主義のわが国において、選択できる機会が狭められるということは大きな問題だと思います。

今回の件はまさに「全体最適」を考えた上での判断です。

 

・・・・・・

さて、以下は政治的な話になりますので、ご参考まで。

川崎の場合、一部の政治家が前者の意見のみを尊重し、「給食で提供すべきでない」と言っています。

私はこうした「(後者)市民の選択の自由」を奪う行為は、政治家は絶対にやってはならないと思います。彼らが前者的な人にくみしてそうした行動をとること自体は勝手ですが、「後者の権利を奪っている」ことを忘れてはなりません。

 

また、既に生産農家との契約を済ませた後にそれを反故にする話ですから、その保証金も発生するでしょう。基準値以下の物を提供している農家には瑕疵がないわけですから当然です。担当局に確認したところ、1,000万円以上の損失が出る可能性があるようです。さらには、ミカンの廃棄費用をも考えなくてはなりません。そうした財政や事後のことも含め、政治家は「全体」を見て、何が「最適」かを判断せねばなりません。その意味では、これができない政治家は政治家としての「資質」を疑いたくなります。

 

ましてや、川崎ではそんな顔をしておきながら、我が故郷「福島」に視察に行き、そこでは「被災地のために」などとうそぶいている政治家は最低だと思います。「福島の政治利用」としか思えません。

誰とは言いませんが、そうしたダブルスタンダードの政治家がいることがこの国の不幸です。

 

政治を一部の権力者が牛耳っていた時代から、いわゆる普通の青年も政治家になれるようになったことで、ポピュリズムという新たな問題が出てきていることを、今回の一件でつくづく感じております。

 

ネガティブキャンペーン的な演説や文章をつくることがない私でも、さすがに今回ばかりは後段文章について、福島出身者として、そして、人として、書かせて頂きました。

先日、視察で考えた知見の一部を書きます。

ちょっと長いですが、最後までお付き合いください。

 

児童虐待を未然に防ぐことは極めて重要ですが、起きた場合は早急に子供を救ってあげる(場合によっては親から引き離して保護)ことが肝要です。

子どもを中心に考えれば当たり前の話ですが、実はこれが法的に容易ならざる点があるんです。

 

昨年、兵庫県で2歳男児が母親の交際相手に暴行を受け意識不明となる事件が起きました。この時、児童相談所は事件前、2歳男児に対し、虐待が行われている可能性があるとみて、母親に交際相手との面接を求めたが拒否され、見守りを続けていた中で事件が起きました。

 

この事件は、法律では児童虐待の加害者として規定されているのは、「親権者や監護者」等と規定されており、既述のような、いわゆる「通い夫」的な人間は、児童虐待というよりも、通常の刑事事件と判断される傾向があるため、児童相談所の初動態勢が遅々としがちのようです。

 

これを受けて県は、児童相談所等の対応マニュアルを改訂し、同居していない交際相手による虐待も親のネグレクト(実母がその虐待を黙認していると見なす」として扱うことを明示しました。それによ、積極的に調査を行い子どもの一時保護や警察へ迅速に支援を要請するなどの対応を、現場が取りやすくなるようにします。

 

この取り組みは非常に意義があります。例えば、上記のような事件は刑事事件とされると、警察は加害者の状況証拠を固めてから「子供を保護する」というよりも、「犯人の虐待者を捕まえる」わけです。

 

つまり、そもそも論なのですが、刑事事件として警察が来る場合、「犯人逮捕」は優先されるものの、肝心の「児童保護」は劣後してしまいます。しかし、この捉え方は根本的に違っていて、児童虐待に対する初動対応として絶対に大切なことは、「一早い児童保護」であって、馬鹿な「虐待通い夫への鉄槌」ではありません。それはそのあとじっくり加えればいいんです。

 

さらに、刑事事件になれば既述のように証拠が固まるまでは時間がかかるだけでなく、児童相談所であれば「疑わしい段階」から関与が可能になるため、「一早い児童保護」に繋がるわけです。

 

さて、兵庫の意義からちょっと回り道しましたが、「通い夫」的な人間まで明示したことで、児童相談所が躊躇することなく、関与していける態勢が整備される可能性があるということで、意義があります。それ以前は彼らが躊躇した結果、事件が起きたわけですから。

私は川崎において、そうした実効性ある児童虐待防止条例作りに、引き続き、注力していきます。


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